明治文学に引き続き、大正文学を追ってみました。

15年という短い期間でしたが、大正デモクラシーを背景に花開いた大衆文化の中、数多くの文豪と呼ばれる作家が登場しました。


白樺派・・・志賀直哉、武者小路実篤

耽美派・・・谷崎潤一郎、永井荷風

新思潮派・・・芥川龍之介、菊池寛

プロレタリア文学派・・・小林多喜二

新感覚派・・・川端康成


ここでふと、女性作家の名前が一人も出て来ないことに気づきました。

(与謝野晶子や金子みすゞは小説家ではないので、除外しています。)

そこで、「大正 女性作家」で検索してみると、「田村俊子」の名前が出て来ました。


原稿料だけで生活を成り立たせることができた女性初の職業作家だそうです。

作家としては、明治時代の樋口一葉の方が有名ですが、一葉は活動期間が短く、原稿料だけで生活をすることはできていません。


田村俊子の代表作には『木乃伊の口紅』や『女作者』などがありますが、読まれたことがある方はいらっしゃいますか?

私は、あらすじを読んだだけで、もうなんと言うか、生々しくて苦手なので、未読です。

田村俊子の名前が知られているのは、瀬戸内晴美(寂聴)さんの評伝小説『田村俊子』の功績が大きいのではないかと思っています。

こちらについても、先に『かの子繚乱』を読んで辟易したので、未読です。(その後の『女徳』は、面白く読めました。)


作家としての評価はよくわからないのですが、自由奔放に国境を越えて活躍したその生涯には圧倒されます。


1884年生まれで、新設の日本女子大学国文科を中退後、幸田露伴に入門。

兄弟子の田村松魚と結婚し、松魚の勧めで書いた『あきらめ』が懸賞小説に当選し、文壇デビュー。

「青鞜」に参加。女優としても活躍。

2歳年下の新聞記者と、不倫の恋に落ち、その後を追ってバンクーバーへ。

帰国後、情事を経て、中国に渡り、1945年に客死。


寂聴さんが、評伝小説の主人公に選んだ理由がよくわかる波乱万丈の人生でした。