この数日、明治時代に書かれた小説を目にしていて、学生時代に習った「言文一致運動」を思い出したので、私の認識している流れを、かなりざっくりとまとめてみました。


「言文一致運動」は、「書き言葉」と「話し言葉」を一致させようという試みですが、最初に口語体で書かれた小説が、1887年に発表された二葉亭四迷の『浮雲』でした。『小説神髄』の坪内逍遥にアドバイスを受けて書かれたそうです。


このまますぐに言文一致の時代へとはならず、1890年の森鴎外の『舞姫』の文体は、「雅文体」とか「擬古文」と呼ばれるものでした。

森鴎外の文体は格調高いと言われていますが、当時の多くの文筆家は、口語体を低俗なものと考えていたようです。


1894年から1896年にかけて発表された樋口一葉の小説もまた地の文は「雅文体」ですが、話言葉は口語体に近づいています。


1897年の尾崎紅葉の『金色夜叉』は、地の文が文語体で話言葉が口語体であり、「雅俗折衷体」と言われています。


1905年の夏目漱石の『吾輩は猫である』は、口語体を取り入れ、当時、誰もが読みやすく、わかりやすい文章の傑作と言われたそうです。



明治時代の小説家は、時代や作品によって、文体を使い分けており、この作家はこの文体という分類はできません。

また、「雅文体」と「擬古文」も厳密には違うそうですが、判断が難しく感じます。

作家達も、どの文体を使うかを自身の美学と時代の流れの狭間の中で、選択して行ったのだと思います。


ただ、話の内容に関わらず、雅文体で書かれた小説は、リズムが良くて情感があり、とても美しいので、それが明治文学の魅力だと思っています。