前回コメントで、Nobuさんに松平定信が文化人でもあったことを教えていただいたので、興味深く思い検索してみました。
Nobuさん、いつもいろいろ教えてくださってありがとうございます(*^^*)

私の松平定信のイメージは

白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき

という狂歌に象徴される潔癖で生真面目な人物でした。

出版統制令で蔦重や山東京伝を弾圧しているので、町人文化を嫌っていたのだと思っていたら、実は、自ら戯作を執筆したりしていたのですね!

賢丸時代には『大名かたぎ』というユーモア・風刺小説を書いていました。


「寛政の改革」は失敗施策だという認識でしたが、わずか6年の短い老中就任期間にさまざまな政策を打ち出していたことに驚きました。

辞職に追い込まれたけど、有能な政治家であったことは間違いなさそうです。


老中退任後は、浮世絵を収集したり、文化を擁護していたそうです。

北尾政美、山東京伝に合作で「吉原十二時絵巻」を製作させたりしています。


また、「集古十種」という古宝物図録の編纂をしていました。

後世に古宝物の製造などの情報を伝達する目的で制作したそうです。


知れば知るほど、奥深い面白い人物でした。