再放送を観ました。
脩子内親王の裳儀が、道長を腰結役として行われました。
当時まだ満8才であったのに、なぜこれほどまでに急いだのでしょうか?
父である一条天皇により、着裳の際に三品に叙され、10才で一品准三宮の待遇を与えられていることから、母を喪い、強力な後見がいない内親王の地位を早く確立させておく意図があったのかと思います。
『源氏物語』の続きを
「今のわたしのために書いているの」
というまひろに、いとが
「日々の暮らしのためにはならぬということでございますね」
と嘆いていました。
確かに、貴重な紙を使って暮らしのためにならない物語を書き続ける財力や余裕が紫式部にあったとは考えられないので、最初から道長というパトロンがいたのではないかという新説が正解のように思えて来ました。
最期を迎えた晴明が道長に
「いずれあなた様の家からは帝も皇后も関白も出られましょう。」
と予言していましたが、これは光源氏が受けた
「御子三人、帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし
の予言のオマージュですね!
ついにまひろが宮中に出仕しますが、迎える女官達が怖かったですね。
身分が劣っていた紫式部には、宮中生活は辛かったそうで、出仕数日で逃げ帰り、数ヶ月出仕しなかったそうです。
この時の思いが、「桐壺」に反映されているかと思うので、執筆順としてはやはり「桐壺」は宮中出仕後のものかと思われます。