公任の北の方主催の和歌の勉強会で、まひろが

『古今和歌集』の紀貫之の和歌

人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける

講義をしていました。


「人の心を種として」は、「仮名序」に

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

とあります。


ドラマには登場しませんでしたが、紀淑望の「真名序」

夫和歌者 託其根於心地 發其花於詞林者也

も好きです。

拙い訳ですが、「和歌は、根を心という地に託し、言葉の林に花を咲かせたものである。」という意味でしょうか。


その場に遅れて、和泉式部が登場しました!

生絹(すずし)の単衣を着て

声聞けば暑さぞまさる蝉の羽の薄き衣は身にきたれども

と歌を詠んでいました。

映像としては美しいけど、生絹は夏に室内で素肌の上に直接羽織るもので、外出着にすることはあり得なかったはずです。

現代で言えば、Tシャツの上にシースルーの部屋着を羽織って現れたようなものでしょうか?

二人の親王に愛され、優れた歌人でもあった和泉式部は、魅力的な女性だったと思うので、奇をてらう人間として描かれたのは残念です。


田鶴君が元服して頼通になっていました。

凛々しい少年に成長していました。

為時が、孫子の「呉越同舟」を教えていましたが、これまでの為時の生徒達は勉強嫌いばかりで大変そうだったので、聡明で教えがいがありそうで良かったです。


賢子の手習いは、以前、たねにも教えていた「あめつちの詞」でした。

この後、『源氏物語』の「若紫」に登場する「難波津」や「浅香山」に続いて行くのでしょうね。