「四后並立」は大きな反感を招きましたが、意外にも「一帝二后」はすんなり受け入れられたようです。


ドラマで奮闘していた藤原行成が、一条帝への「一帝二后」の説得の経緯を『権記』に詳細に書き記しています。


権記


后達がすべて出家しているため神事を行うことができないので、新しい后を立てる必要があるというのは、こじつけの理由だと思っていたのですが、『権記』を読むと、かなり真剣に憂慮すべき事態と考えられていたことがわかります。

行成の説得を帝が承諾せざるを得なかった理由と、彰子の立后に実資達公卿が異を唱えなかった背景が理解できました。


「四后並立」が反感を買ったのは、道隆が理由付けもせずに強引に勧めたことが大きかったのかもしれません。

いつの時代も、丁寧な根回しの必要性を感じます。



ドラマでは、道長の高松殿で病に倒れ、倫子と明子が顔を合わせました。

「一帝二后」ならぬ「一夫二妻」による目に見えない火花が散っているかのような緊張感漂う会話が怖かったです。


倫子も明子も、それぞれ子供を6人産みますが、子供達の出世にはかなりの格差が開いています。

倫子の4人の姫は入内していますが、明子の姫の一人は親王と、もう一人は皇族以外と結婚しています。

実際の明子がどう感じたのかはわかりませんが、ドラマのプライドの高い明子がどのように受け入れて行くのか興味深いです。


次回は、女院詮子の四十の賀における田鶴君(倫子の子)と巌君(明子の子)による童舞のエピソードも描かれるそうなので、二人の母の反応など楽しみです。