「光る君へ」で、まひろや倫子達に文学を教えていた赤染衛門は、彰子サロンのメンバーの一人であり、『栄花物語』の作者説もあります。


『紫式部日記』の、赤染衛門評を見てみると

まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。

まことに風格があって、歌人だからといって、何でもたくさん詠み散らすわけではないけど、聞こえてくる歌を見ると、ちょっとした折節のことでも、こちらが恥ずかしくなるほどの詠みぶりです。(意訳です)

と、毒舌の紫式部が歌を絶賛していることに驚かされます。

和泉式部を、こちらが恥ずかしくなるほどの歌人ではないと切って捨てたあの紫式部がです!


赤染衛門の歌は百人一首の

やすらはで寝なましものを小夜更けて傾くまでの月を見しかな

くらいしか思い浮かばなかったので、このたび少し歌を読んでみたのですが、本当に和泉式部より上手いですか!?

単純に私の好みの問題もあるかと思うのですが、釈然としなくて、ネットで検索してみたら、鴨長明の『無名抄』の「式部赤染優劣時」について書かれている記事がたくさん見つかりました。
とても興味深い歌論でしたが、拾い読みですので、詳細に触れるのは遠慮します。

ただ、

しかれど人のしわざは、主(ぬし)のある世には、その人がらによりて劣り勝ることあり。

その人が生きている時代は、その人柄によって歌の優劣が決まることもある。

の一文を読んで、納得しました。


恋愛遍歴が激しく奔放な和泉式部より、良妻賢母の赤染衛門の方に、当時の人達は好感を持ち、歌にも高い評価をしていたということでしょうか?


恋愛長編小説を書いた紫式部も同じような考え方というのが意外でもあるのですが、赤染衛門より和泉式部にライバル心を強く持っていたということかもしれませんね。