「光る君へ」で、「あでやかな後宮サロンを作る」と、倫子が力強く語っていましたが、艶やかと言えば、まず思い浮かぶのが恋多き歌人和泉式部です。
紫式部が『紫式部日記』の中で、清少納言を痛烈に批判していることが有名ですが、同じ彰子サロンの和泉式部についても辛口で批評しています。
この文章はちょっとわかりにくくて、貶しているのかと思うと、ちょっと上げて、また下げて、上げるのかと思ったら、結局下げて終わっている感じです。
和泉はけしからぬ方こそあれ
と、まず感心しない人だと言っています。これは恋愛遍歴の奔放さについてのことだと思われます。
恥ずかしげの歌詠みやとは覚え侍らず
と、こちらが恥ずかしくなるほどのすごい歌詠みとは思わないと締めくくっているのですが、面白いのは、批判するだけではなく、
口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目とまる詠み添へ侍り
口に任せた詠んだものに、必ず趣深い部分があって、目にとまるような詠み方になっていると、和泉式部の歌の本質とも言える部分を敏感に捉えていることです。
和泉式部の代表的な歌である
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな
黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき
を読むと、こめられた情感に強く惹かれるとともに、直球ど真ん中をズバッと投げ込んでくるような小気味良さを感じます。
枕だに知らねばいはじ見しままに君語るなよ春の夜の夢
を見ると、心のおもむくままに大胆に振る舞った後、二人だけの秘密と言う色っぽさ。
官能的なのに嫌らしさを全く感じず、可愛らしいとさえ感じるのは、変なぼやかしの技巧を入れないで、率直に詠んでいるからかと思います。
紫式部も
口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢに侍るかし。
口につくままに自然に詠んでいることがわかるような作風だと評しています。