「光る君へ」の藤原行成は、一条天皇と道長の板挟みで可哀想です。

ドラマの中では、一番誠実な人柄に見えるだけに不憫です。


『枕草子』によると、派手な振る舞いや風流なことをすることがないので、皆から平凡な人と思われていたのを、清少納言は自分だけは奥深い心を知っていると高い評価をしていたようです。


女房達からは

この君こそ、うたて見えにくけれ。異人のやうに歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ

とけなされ、不人気だったようです。


百人一首にも選ばれた

夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ

は、『枕草子』の章段にあるエピソードで、行成の後朝の文に見立てた

孟嘗君の鶏は函谷関をひらきて、三千の客わづかに去れりとあれども、これは逢坂の関なり。

に対する返事として詠まれたものです。


これに対して、行成は

逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬのにあけて待つとか

と返歌していますが、清少納言はこれには返事をしませんでした。

下手なうえに、現代の女性なら怒り出しそうな内容で、こういうところが女房達をしらけさす理由だったのかもしれませんね。

いとわろしです。

達筆で知られる行成の文を欲しがる人達が多かったようですが、さすがにこの歌は厳重に隠し、行成は感謝しています。

(『枕草子』でバラしているけど)


頭の弁だった行成は、清少納言を中宮への取次ぎ役として信頼し、良好な関係だったようです。

風流人の公任のエピソードと比べると、洗練さで劣っていますが、行成も時にはこういう擬似恋愛の遊びを楽しむ面もあったようです。