先日の「光る君へ」で、まひろが読んでいたのは『新楽府』の「採詩官(采詩官)」だったそうですが、私は未読のためわからず、ネットを見たら、「新楽府だ!」「採詩官だ!」と反応している人達がいて、感心しました。

さらに、内容を知って、脚本家さんの上手さに感心しました。


私の漢詩の知識は、ごくごく有名なものに留まっています。


こちらは、学生時代に教科書として使用したものですが、代表的な唐時代の漢詩がほぼ掲載されているので、今でも重宝しています。

白居居ですと、「長恨歌」や「琵琶行」「香炉峰の雪」などが載っています。
「採詩官」を探してみたのですが、見つかりませんでした。

紫式部は彰子中宮に進講した際に、『新楽府』を教科書として使用したそうです。
その頃の彰子中宮は、現代で言えば高校生から大学生くらいでしょうか。

『紫式部日記』によると、『白氏文集』に興味を持った彰子に頼まれ、他の女房に隠れて『新楽府』を教えるようになったそうです。

当時の女性は漢文の知識はそれほど求められておらず、『枕草子』に見られるように、会話や和歌に応用できる基礎知識があれば十分だったようです。
そのため、文学的な白楽天の漢詩が人気だったのではないかと思われます。


なぜ紫式部は中宮への講義に、社会や政治を諷喩した『新楽府』を選んだのでしょうか?

まず、彰子中宮が一条天皇との会話に応えられるレベルの教養を身につけることを望んでいたのではないかと考えられます。

二つ目は、彰子中宮が、定子中宮の漢詩の知識に張り合って、それよりも高い知識を求めたことも考えられます。

三つ目は、紫式部が彰子中宮に社会や政治について関心を持って欲しかったのではないかということです。
「光る君へ」では、これが最もありそうだと推察しています。


『新楽府』については、ネットで拾い読みしただけなのですが、白楽天はやっぱり白楽天だと思いました。
諷喩していても、文学的です。