『枕草子』と白楽天というと、一番有名なのは「香炉峰の雪」かと思います。
あと思い浮かぶのが、昨日の「南秦の雪」ともう一つが「草の庵」です。
藤原斉信は、根も葉もない噂話を信じて、清少納言を嫌っていましたが、そのうち誤解が解けるだろうと清少納言は気にしていませんでした。
一方的に絶交したものの気になる斉信が、ある日、大勢で相談して
蘭省花時錦帳下
と書いた文を届け、「末はいかに」と返事を求めます。
この白楽天の詩は、当時の貴族によく知られていたと思われます。
正解は、
廬山雨夜草庵中
なのですが、清少納言は知ったかぶりをして漢字を書くことを避けて、紙の余白に消し炭で
草の庵を誰かたずねむ
と書いて、返事をします。
これは
藤原公任が連歌にて
いかなるをりにか
「草のいほりをたれかたずねむ」
と詠んだことを踏まえています。
今度は逆に、斉信に上の句を求めています。
ここのへの花のみやこをおきながら
が正解となりますが、それでは清少納言の示した機知に対して負けてしまいます。
大勢で一緒に夜更けまで考えますが、良い上の句を思いつかず、投げ出して、清少納言を「草の庵」と呼ぶことにしたという話です。
後日談を含め長い段なので、興味がある方は原文を読んでみてくださいね!
この時試されたのは、使用する紙や筆跡などすべてだったとする考察もあり、当時の貴族に求められたのは、教養と機転の両方だったようです。