冒頭の宣孝のまひろへのプロポーズ、良かったですね~。
「自分が思っている自分だけが自分ではないぞ。
ありのままのお前を丸ごと引き受ける。それができるのはわしだけだ。さすればお前もらくになろう。」
「忘れえぬ人がいてもよろしいのですか。」
「よい。それもお前の一部だ。丸ごと引き受けるとはそういうことだ。」
「都で待っておる。」
歳上男性の度量を見せられた後だと、周明の胡散臭さは見え見えでしたね。
定子に会いたい一条天皇が、長徳の変の件で、道長に八つ当たりしていました。
長徳の変の回で、花山院も伊周・隆家兄弟も隠したかった事件を表沙汰にしたのは斉信で、理由は隠すには事が大きすぎたからではないかという推察をここに書きました。
今回のドラマでは、矢が射かけられたのは院ではなく牛車であったことを斉信が意図的に報告せずに重大事件にしたのではないかと気づいた道長が、「確かに伊周の席が空いたことで、斉信が公卿となった」「してやられた」と明子に話していました。
事件を明るみに出したのは斉信であるとする説が有力ですが、その裏に出世欲があったかどうかは不明です。
結果的に斉信は出世しましたが、実際にこの事件を最大に利用したのは道長ですよね。
女院の快癒祈願に伴う恩赦で、伊周・隆家兄弟の処遇について、陣の定めで協議されました。
『小右記』には、発言者や発言順まで記録されています。
帝の希望だけで決めることはせず、合議をしていることで、この時代の政治機構がかなりしっかり機能していたことがわかります。
そして、定子中宮と脩子内親王に会いたい一条天皇のために考えられたのが、内裏ではなく、中宮職の官庁であった「識御曹司」に定子が入ることでした。
それでも公卿達の大きな反発を招くことは避けられず、実資は『小右記』に「天下甘心せず」と書き、中宮職の職員は実は出家していないと言っているけど、そんなことはあり得ないと不満を記しています。
「出家=神事ができない」というのは重大なことで、ただ衝動的に髪を切っただけとしたい中宮側と、それを認めない貴族社会の間には大きな隔たりがあったようです。
女房達のさざ波のような「図々しい、図々しい」が怖かったですね~
ドラマで、一条天皇が定子に溺れ、政務も疎かになったのは、玄宗皇帝と楊貴妃の『長恨歌』にも例えられた桐壺帝による桐壺更衣への寵愛のオマージュでしょうか。