「光る君へ」では、中宮定子が姫皇子を出産しますが、出家してしまったため、一条天皇は会うこともできず、嘆き悲しんでいました。

(歴代の天皇役の役者さん達、皆さま美しくて目の保養です。)


一条天皇は定子を宮中に呼び戻し、姫皇子も内親王宣下しています。

ここで、よくわからないのが、宮中に戻るということは還俗したのでしょうか?

そうすると、数年後、定子が出家したため神事を行うことができないため新しい中宮が必要であるとして「一帝二后」を強行した理由付けが分かりにくくなります。

還俗しても、一旦仏門に入ると、神事が行えないという意味でしょうか。

まあそもそもが、彰子を中宮にするためのこじつけのような気がしています。


定子を「皇后」として、新しく彰子を「中宮」にしたのは、道隆が「三后」制度であったものを、定子を中宮として「四后」にしたことが始まりです。

この時代は、皇后、皇太后、太皇太后が存命であれば、新しく后を立てることはできませんでした。

(「中宮」は、三后の総称とも、皇后の別称とも言われています。)

有職故実に厳格な藤原実資は、『小右記』に「皇后四人の例、往古、聞かざる事なり」と驚きと批判を書き残していますが、この時の皇后は、先々帝である円融帝の中宮藤原遵子であったので、一条天皇の中宮を立てることは、現代感覚では違和感はありません


しかし、「一帝二后」となると、現代感覚をもってしても、いやだからこそ、あり得ないことです。

ところが、「皇后達がすべて出家しているので、神事を行えない」という理由があっさり通り、前代未聞の「一帝二后」が成立してしまいます。

(この先例をまたまた三条天皇に利用されることになるのは皮肉な話です。)


「光る君へ」では、道長にどのように決行させるのか、興味津々です。