高階貴子が亡くなり、「光る君へ」で初めて鈍色の衣が登場しました。
これまで次々と登場人物が亡くなっているのに、なぜ喪服を着用しないのかと不思議でした。
鈍色については、亡くなった人との関係の近さにより、少し色が異なっていたそうです。
中宮定子が着用していた濃い灰色の衣より、道長の衣の方が青みが強かったので、「青鈍(あおにび)」でしょうか。
『源氏物語』の「玉鬘」の巻でも、光源氏が女君達に新年用の衣配りをした時に
空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて
と出家した空蝉には、青鈍の織物を贈っています。
鈍色の衣の時の袴は、柑子色(こうじいろ)や萱草色(かぞういろ)のはずなのですが、中宮定子や清少納言の袴が緋色に見えたので不自然に感じていたら、風俗考証担当の佐多芳彦さんの解説がありました。
「ふだんはいている袴よりちょっと朱色味が強い」とのことですが、映像ではわかりにくいので、もう少し抑えた色合いの方が自然だったかと思います。
今回初めて道長は、定子の懐妊を知らされ、一条天皇に報告していましたが、史実ではそもそも懐妊したから二条宮に下がっているので、なぜあえて設定を変える必要があったのでしょうか?
この時産まれたのは脩子内親王ですが、もし親王であったなら、将来東宮になった時に支える外伯父の伊周・隆家兄弟の立場を弱くする厳しい処分についての疑問が生じます。
これは、ドラマでは道長陰謀論を避けたかったので、定子の懐妊を知らなかった一条天皇が厳罰に処したということにしたかったのではないのかと考えています。
もう一つは、出家した定子を宮中に呼び戻すというのは、大きな波紋を呼ぶ出来事なので、懐妊を知った一条天皇の激情からというドラマティックな展開にしたかったのではないかと思います。
実際に、道長にとってもかなり頭の痛い出来事であったことでしょうね。
藤原元子や義子も入内しており、定子への寵愛が深い中に、まだ幼い彰子を入内させる道長の心境はいかほどのものであったかと思います。
一条天皇の興味を惹くための手段の一つが『源氏物語』でした。
政治に利用されることになる一方、当時高級であった紙を道長というパトロンによって提供してもらうことができ、宮中生活を経験することにより、『源氏物語』という長編小説が完成しました。
執筆時期と場所が異なることや、さまざまな経験を経たことが、『源氏物語』の内容を深いものにしたのかと思います。
