「光る君へ」で描かれた『枕草子』が切なく美しく、まだ余韻が残っています。
『枕草子』は、「類聚的章段」「日記的章段」「随筆的章段」で構成されています。
「日記的章段」の中に、村上天皇の女御であった藤原芳子について、中宮定子が女房達に語って聞かせる場面があります。
藤原芳子は、藤原師尹の娘で宣耀殿の女御と呼ばれていました。
『大鏡』によると、大変長い黒髪だったそうで、
御車に奉りたまひければ、わが身は乗りたまひけれど、御髪のすそは母屋の柱のもとにぞおはしける
と描写されています。
当時は長く豊かな黒髪が美人の条件だったとはいえ、あまりにも長いと、頭が重いでしょうし、おつきの女房達が大変ですよね。
まあこの話はあり得ないレベルなので、どんどん誇張されたのでしょう。
『枕草子』二十段の前半では、中宮定子が女房達の和歌の知識を試すという風流な遊びが描かれています。
後半で、中宮は宣耀殿の女御の話を始めます。
父大臣である師尹は、入内前の姫に「書道」「琴(きん)の琴」「古今和歌集20巻すべての暗記」の学問をするよう教えたそうです。
これを知っていた村上天皇が、物忌の日に宣耀殿の女御を訪れ、暗記力を試験しますが、女御は一つも間違えることがなかったそうです。
(この様子はかなり詳しく面白いので、未読で興味ある方は、二十段をどうぞ!)
女御は答える時に「さかしう」せずに、おしまいまで歌を続けて答えたりはしなかったそうです。
知っているからと言って、ハキハキと全部答えるのは、利口ぶって見えて慎ましくないということですね!
また、実家にも試験中との使いを出したので、父大臣が心配して、失敗がないようにと一日中祈念していたそうです。
この話を聞いた帝も女房達も、感嘆の声をあげますが、この逸話を中宮に教えたのは才媛の誉れ高かった母貴子だったのではないかと思いました。
妃がねの姫を、宣耀殿の女御のように教養深く育てたかったのではないでしょうか。
「光る君へ」では、定子サロンのこういうシーンも取り入れて欲しかったので、少し残念です。