道長の時代がついに始まりました。
摂関政治の最盛期と言われ、『御堂関白記』という日記を残していますが、意外にも「関白」には生涯なっていません。
(孫の後一条天皇の即位の時に初めて「摂政」になります。)
ドラマで描かれたとおり、天皇に奏上する文書を事前に見ることができる「内覧」という地位を上手く活用していました。
「関白」になってしまうと公卿の会議(陣定など)における「一上」を兼任できなくなり、天皇の補佐として報告を受けるだけになります。
そのため、道長は「関白」にはならず、「内覧」と「一上」の権限を使い、文書を事前に見て、会議での発言権も保持する強力な政治力を持ち続けました。
名より実を取る優れた政治感覚の持ち主だったと思われます。
一方の伊周は醜態をさらし、自らの立場をどんどん悪くしていました。
実資の「え~!陣定の後、そんな面白いことがあったのか!」に笑ってしまいました。
日記に書ける絶好のネタだったのに、見逃して残念でしたね!
『小右記』には、この時の様子が「闘乱のごとし」と書かれているようです。
そして、「長徳の変」が起こります。
伊周は、藤原為光の娘である三の君のもとに通っていましたが、邸を訪れていた牛車を見て、他に通う男があると誤解してしまいます。
実は、四の君に通う花山院でした。ドラマでは久々の登場でしたが、出家しているにも関わらずお盛んです。まあ19歳で騙されて出家しているので、無理がないと言えます。
三の君と四の君は、花山院の寵妃であった忯子の妹ですので、あのまま在位していれば、四の君の入内の可能性が高かったのではないでしょうか。
伊周が相談した相手が、軽率で乱暴な隆家だったのが不運の始まりでした。
隆家は待ち伏せをして、弓矢で花山院の衣の袖を射るというとんでもない大事件を起こしてしまいました。
今回のドラマではここまででしたが、中関白家はどんどん自滅への道を進んでいます。