『枕草子』の名前の由来については、諸説あるようです。

「草子」は綴じ本や冊子ですが、では、「枕」はというと


宮の御前に、内の大臣の奉り給へりけるを、

「これに何を書かまし、上の御前には、『史記』といふ文をなむ書かせ給へる。」

などのたまはせしを、

「枕にこそは侍らめ。」

と申ししかば、

「さは、得てよ。」

とて賜はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、つきせず多かる紙を書きつくさむとせしに、いとものおぼえぬことぞ多かるや。


によるものだそうです。


「内の大臣」は、このたびのドラマの「皇子を産め!」発言で、視聴者人気がどん底に墜ちたのではないかと思われる藤原伊周ですが、当時高級であった紙を中宮に大量に献上していますので、折に触れ、細やかな心配りを欠かさなかったのではないかと思われます。


中宮定子の

「何を書こうかしら? 帝は『史記』を書かれていた」

という問いかけに

「枕でございましょう」

と答えたところ、その紙を下賜されたのが、『枕草子』執筆の始まりになりました。


では、「枕」とは何を意味するのでしょうか?


いろいろな考察がありますので、興味のある方は検索してみられると面白いかと思います。


そのうちの有力な二つに触れます。


一つは帝の『史記』を「敷き布」に洒落て、「枕」と答えたというものですが、それでは、その「枕」は何かという疑問が残ったままです。


私が最も有力だと思うのは、「枕草子」が普通名詞として当時使われていたのではないかとする説です。

枕元においておく日記みたいなものを意味したのではないかと言われています。


何はともあれ、伊周の献上した紙により、『枕草子』は生まれました。

次回以降、さらに人気が下降しそうな伊周の偉大な功績と言えそうです。