聖徳太子が制定した「冠位十二階」により、階級に応じて身につける冠の色が定められました。


「光る君へ」の舞台である摂関政治の時代においては、

天皇   黄櫨染
東宮   黄丹  

4位以上 黒色

5位   緋色

6位以下 縹色

でした。


最初の頃、緋色を身に付けていた道長は現在黒色となっています。

まひろの父為時は、縹色でした。


このように、出仕の際に身につける衣冠束帯が決められているにも関わらず、伊周が直衣を着用していたことに

公任が、

「帝の御前で伊周殿のあの直衣は許しがたい」

と不快を口にします。
斉信が

「帝がお許しになっているのだからどうにもならぬが」

と答えていましたが、この「帝のお許し」が何かと言うと、「雑袍宣下」という正式なものでした。


兼家が摂政になった時に、一人だけ直衣であったことについて、解説がありました。


雑袍宣下


伊周も宣下を受けて着用していたものと思われますが、摂政である兼家や道隆の着用とは異なり、若年の伊周の直衣姿は天皇の外戚を鼻にかけた傲慢な態度と、公任は不快に感じたのでしょうね。


伊周の直衣は「桜襲」で、とても美しい衣装でした。

『源氏物語』の「花宴」においても、みんなが黒い袍を着ている中に、源氏が一人だけ桜襲の直衣で現れます。

とても幻想的で印象深い美しい場面です。

だけど、朧月夜への

「まろは、みな人に許されたれば」

という驕った言葉とも重なります。

実際に、何をしても許される身ではなく、須磨に流されることになるのです。


伊周の「桜襲」もまた、今後の運命を暗示しているのでしょうか。