『ミセス・ハリス、パリへ行く』を観ました。


原作であるポール・ギャリコの『ハリスおばさん パリに行く』を、子供の頃読んだことがあり、その時初めて、クリスチャン・ディオールやオートクチュールを知りました。

子供の時は、ハリスおばさんが、ディオールの美しいドレスを作る夢を叶えるたびにパリに行くというストーリーをワクワクしながら読んだのですが、映画では、この時代の階級社会や職業差別に焦点が当てられていました。
現代社会においても、平等意識はまだまだ表面上のものに過ぎず、何かが事件が起きるたびに根強く残っていることを思い知ります。

特権階級の顧客だけのためのファッションショーのシーンでは、多様な人種のモデルが登場しますが、これは現在の映画制作の基準に合わせただけではないかと思い、少しシニカルな気分になりました。

モデルのナターシャの愛読書がサルトルの『存在と無』であることも、この映画の大事なテーマとなっています。

下町の掃除人であるミセスハリスに、ディオールの女性支配人が、疑問を投げ掛けます。
高価なオートクチュールのドレスを作って、どこに着ていくのか?見て楽しむだけなのか?

物語のところどころに登場する実存主義について考えていくうちに、ミセスハリスにとってのディオールのドレスとは「見えないものを可視化する」ことにあったのだと思いました。

哲学などを持ちこまなくても十分面白いストーリーですが、いろいろと考えさせられる良質の映画でした。