翌朝は帰国ということでシャルル・ド・ゴール空港に行ったのですが、私達が乗る予定のスカンジナビア航空のメカニックが、コペンハーゲンでストライキを起こし、5時間待たされました。
その後やっと乗り換え地のコペンハーゲンに着いたのですが、今度は乗り継ぎ機が私達を置いて飛び立ってしまったと無情にも告げられました。
幸い、スーツケースはきちんと確保でき、ホテル、出発までの3食、3分間の電話を航空会社から補償されました。
その日のディナーはチボリ公園内のレストランに案内されて、美味しいサーモンを食べることができました。老夫婦がイルミネーションの中を腕を組んで散歩している様子が素敵でした。
翌日も、出発までに時間があったので、チボリ公園とコペンハーゲンの街を観光することができました。もうすでに肌寒く、チボリ公園は9月18日には閉まるということでしたので、なんとか間に合って良かったです。
現地の通過の用意がなかったのですが、クレジットカードのみで、タクシーも利用でき、買い物や観光もできました。
当初予定の飛行機は、成田空港着だったのですが、トラブルのおかげで、オープンしたばかりの関西空港に直行便で帰ることができました。
成田に帰る人達は、ロンドン経由になったので、この点でもついていたように思います。
最後にトラブルに逢いましたが、全体をとおして楽しい旅行ができて、母も大変喜んでいました。
1994年9月のフランス・ドイツ旅行の直後の旅行記の一部分を、ほぼ原文のまま記載させていただきました。
省略した部分には、ドイツにおいては、1989年ベルリンの壁崩壊の影響における東西格差やはね上がった税金問題のこと、フランスにおいては格差問題などについて触れていました。
フランスで感心したのは、喫煙問題への取り組みがこの当時からできており、レストランには禁煙席と喫煙席の区別がありました。
嫌煙家の私は、とても羨ましく感じました。
ヨーロッパ3ヵ国では、挨拶とお礼だけはその国の言葉を使っていたのですが、後は英語のみで困ることなく、会話や観光ができました。
わずか数日の観光でも、現地に行かなければ感じることがなかった貴重な体験ができました。
昔話を読んでくださって、ありがとうございました。