鐘楼門(白門)がありました。
この辺りまで来たら、すぐわかるかと思っていたのですが、木々に覆われて、目指す多宝塔は全く見えません。
坂道をさらに登って行くと、ようやく「多宝塔」の道標がありました。
ここから山中に入って行くようで、しばらく歩くと、見慣れた案内板がありました。
内田百間のお墓があるそうなので、探してみましたが、見つかりませんでした。
歩き慣れて来た操山の道を登って行くと
ほどなく多宝塔がありました。
元禄年間(1688-1703)に
時の藩主池田綱政が
後楽園の借景として
建立に着手したと伝えられ、
「みかえりの塔」として
今日まで親しまれています。
また、後楽園側から見てみようと思います。