「望み」を読みました。
私は、すでに読んでいる小説が映画になるパターンが多いので、映画を観てから小説を読むのは珍しいです。
映画はストーリーを知っていても楽しめるけど、小説は結末がわかっていて読み進めるのは、少し難しいです。
面白くなって来たのは、3分の2を過ぎてからです。
映画を観た時にはわかりにくかった母親の心情に寄り添えるようになって来ました。
ここから内容に触れます。
未読の方は、ご注意ください。
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我が子がたとえ犯罪者だとしても、生きていて欲しい。
加害者であって欲しいと望む母親の心情は、母親というものはそういうものかもしれないと思いつつ、母親になったことがない私にとっては、我が子はそんなことをする人間でないから被害者だと信じる(信じたい)父親の方がわかりやすいものでした。
だけど、映画では「母」としての感情が際立っていて見えにくかった面が、小説には書かれていました。
「食べる」ことに象徴される生を考える人間としての強さでした。
母親と父親という立場の違い以上に、男性と女性の本能的な違いを感じました。
ジャーナリストとの取引(真相がわかった後で、加害者であっても、被害者であってもインタビューに応じる)に応じたことは、後先を考えない浅はかな行為としか思えなかったけど、ギブアンドテイクの覚悟を決めた上での取引であると思いました。
無実を信じている息子の友人と話すシーンでは、映画では女子高生に曖昧な表情を浮かべるだけだったけど、小説では友人は男子高生で、
「仲良くしてあげてとは言わない。ただ、人間って弱いんだ、誰でも過ちを犯すんだってことを心のどこかで受け止めてくれればそれで十分だから」
と言葉に出します。
そこには「何もかも失ったとしても、命さえ守ることができていたなら」という信念があります。
真相が判明したあとの、両親それぞれの思いに涙がこぼれました。
個人的には、小説 → 映画 の方が、言葉にしない心情も理解できて、楽しめるように思います。

