『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』  村岡 恵理  マガジンハウス



村岡花子さんの名前は、モンゴメリやオルコットの愛読者ならきっと目にしたことがあると思います。

そう、「赤毛のアン」をはじめとする数々の外国文学の翻訳者です。

私も名前は知っていても、どんな人なのかは全く知りませんでした。


この「アンのゆりかご」はお孫さんの村岡恵理さんによる、村岡花子さんの伝記です。


この本を読んで、まず「赤毛のアン」が戦時下で訳され続けていたということに驚きました。

刊行されたのは、戦後の1952年です。

日本初の「赤毛のアン」のカバー写真はなんと金髪だったそうです。

そのカバー写真をはじめ、57冊のカバー写真が掲載されています。


明治生まれの村岡花子さんが、どうやって翻訳できるほどの英語力を身に着けていったのか、その過程を興味深く読みました。


英語力や西欧の生活習慣を身につけるために、東洋英和女学校の寄宿舎で行われていたこと


それは「60 Sentences = 60の文」と呼ばれる日課でした。


  「朝起きてから夜床につくまでの日常生活の行動が、細かく60の英文で綴られていた」


とのことで、見開きページに全文が掲載されていました。

これを読んで、なるほどと納得しました。

毎日これを繰り返すことで、英文の基本力はかなり鍛えられたはずです。


現在の英語教育にも生かせるのではないかと思いました。


以前、カナダ人の友人が日本に住んでいたとき、

「日本人は、私がカナダ人だというと、必ず ”Anne of Green Gables” のファンだと言う」

と驚いていました。


彼女は、プリンス・エドワード島に行ったことも、行きたいと思ったこともないそうです。

カナダに帰国してから、バンクーバーに住むこの友人を訪ねて行ったのですが、

「ナイアガラに寄ってきた」というと、またびっくりしていました。

どうやら沖縄に住む友人を訪ねるのに、北海道に寄って来たと言っているようなものだったみたいです。

でも、私の話を聞いて、その後初めてナイアガラを見に行ったそうです ( ̄▽+ ̄*)


カナダ人以上に日本人が憧れるプリンス・エドワード島ラブラブ 

私も『赤毛のアン』の熱烈な愛読者の友人のアンと

「アンの子育てが一段落ついたら、いっしょに行きたいね」

などと話しています。


本当にいつか実現できたら嬉しいのですが・・・