誰でも アンテナを持っている
カタツムリのツノのように 出したり引っ込めたりできるアンテナ






















・持っているけど出さない人
・おそるおそる伸ばしてみたり縮めてみたりする人
・フツーに出している人
・必要に応じてうーんと伸ばして信号をキャッチする人
もちろん、その性能や感度にも個人差はある











先日 自分に見えないモノは「まったく信じない」と言って強く否定する母が この本を貸してくれた
母が貸してくれた本はカバーが外されていたので、画像はお借りしました
著者が、身の周りに起きた霊現象を美輪明宏さんに相談し、解決…というか対処していくエッセイ
母は「お母さんはこういうのまったく信じないけど、美輪さんとのやりとりが面白いから読んでごらん」と言って、私に手渡した(内容についてもう少し説明されたけれどそこは省略)
母と、見えない世界について話したことはなく、議論するつもりもない。(平行線のまま 交わることがないことは明らかだし、交わる必要もないので)ただ、美輪さんというお互いが知る著名な方か登場するので、私も興味を持つだろうと思って薦めてきたにすぎない。
とても興味深かったので すぐに、しかもページ数も少ないので、短時間で読み終わった。
読み進めるうち、それが昭和52年頃のお話で、初版もずいぶん前ということにもちょっと驚いた。
「信じないけど面白い」と言った母と、見る視点が違う私が、共通の本を読むことになった意味を 一人考えていた。











信じるとか 信じないとか、頭で考えて決めることではなくて、心で感じたものを受け入れるかどうか。
自分が出会っても、誰もが出会うわけではない。
一生出会わない人もいるだろう。
たとえば 世の中にはたくさんのスポーツや いろいろ芸術があって、それをやる人、見るだけの人、趣味にする人がいる。
どんなに親しい友人が それを趣味にしていてオススメされても、自分がハマるとは限らないし、
逆に自分が好きなことを その魅力を どんなに力説したところで、響かない人には響かない。
誰に出会い、何に出会い、どう感じるのか?
それは 一人一人まったく違う。
そこに肯定も否定も必要もないし、人に強要するものでも、無理強いされるものでもない。
人は必要な時に、必要なモノや人と出会う。
それと同じ。ただそれだけのこと。
あると思えばある
ないと思えばない
あれ、何かに似てる(笑)
自分の中で肯定したり否定したり、紆余曲折してたどり着いた、それがいまの私にとっての精神世界の捉え方。
雨の降らない梅雨

朝のカタツムリ

有♪