思春期にさしかかった頃から、自分の家族とか、環境というものに、違和感や抵抗を感じながら過ごしてきました。詳しく書くと、長〜くなるので  そこは省きます。

それに加え  私にとっては  母という存在が強すぎて、すべて良し悪しの基準は  母。

中学生の頃、ある出来事がきっかけで、私は母に 自分のほんとの気持ちを  話さなくなりました。

それからは  母の前での自分と、自分の内面との、まるで仮面をかぶったような、二重生活のような状態を  この歳になるまで続けてきました。 

どうにかしてその状態を解決したいと思って  もがくこともありましたが、解決はできない…というか、解決しなくてもいい  という思いに、最近になってやっと  思い至りました。衝突するたびボロボロになったことも数知れず…

考えや価値観が「合ってるフリをしなくてもいい」
否定されても「考え方が違うだけ」だと、認めればいいだけで、凹む必要はないのだと…や〜っと、そんなことができるようになりました。

とにかく母に認めてもらえないことは  全世界から認められないことと同じで、母からの否定は  全世界からの否定と等しいものだったのです。(私の自己肯定感の低さを ご存知の方もいると思います

それでも 母の近くを離れることなく(物質的な距離は今もですが)  反面教師として、私は私なりの子育てをしてきました。うちの子供たちは自由人〜(笑)

離れなかった理由の一つには  実家の家業があり、それについても、有り難い環境であることを 「感謝しなければならない」という義務感で(頭では)感謝してきましたが、
最近、ある出来事がきっかけで、本当に心から感謝できるようになりました。

それは  家族と食事に行ったお店の順番待ちの待合所で  近くで会話をしていた若い男性の声が耳に入ってきて、その状況が  私とものすごく似通っていて、初めて自分の環境を客観的に見られたことでした。頭を叩かれたみたいにハッ!としました

まったく知らない人だけど、きっとあの若い男性は  天からの使いだったんだなぁ〜と思います


自分の中に自分でも手に負えない氷の壁を作り、自分が傷つかないように…氷越しに周りを見ていることも、当たり前になってしまって気づいていませんでした。

ようやく私が私でいられる方法を見つけ、
本当の意味で  感謝の思いを持てるようになり、その氷が溶け始めている、と感じています。

色々な出来事で、悩んだり傷ついたりもしてきたし、生きている限り 人は一生  色々な思いをするけれど、楽しいも苦しい嬉しいも悲しいも  ひっくるめて全部、ただただ経験するためにある。

敗北や妥協とは  ちょっと違う、自我(と思い込んでいた)ことからの  脱却のような…
ものすごく大きな方向転換ではないけれど、生きることが少し、ラクちんになるような、そんな気がする49歳の春チューリップピンクなのでした。
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お付き合いくださり  ありがとうございます💛

有♪