夏休み明けたらすぐに引越す予定がまだイギリスにいる我が家。やっと引越し日が決まり、本当に引越すんだという実感がでてきました。
そして思う子どもたちのこと。
夏休み中はまだ実感もなくて、旅行も当初の予定より多めに入れて、引越しと聞いて遊ぶお誘いもいっきに増えて楽しいことばかりでした。
帰り際には「寂しいー」って言い合う子どもたちに「まだ学校で会えるからー」「またプレイデートできるからー」って笑って言ってたけど、着々と引越しの日が近づいてきて、気軽に「また」と言えなくなってきました。
子どものキラキラした目で「また遊べる?」と聞かれて、「ちょっと予定確認してからね、、、」と返事を濁さなきゃいけない。さっきまでの弾けるような笑顔が一転、残念そうな子どもの顔を見ると本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
なんならこれを書きながらその時を思い出して涙が出てくるくらい。
子どもたちは新しい国に行くのは楽しみ‼️と言ってくれています。「友達と離れるの寂しい?」と聞いても、「うーん。◯◯ちゃんも△△ちゃんも引越していないしそんなにー」みたいな返事。
それは本心なのか親に気をつかっているのか。特に娘は私が悲しがったりするのを極端に嫌い、ちゃんとママも楽しいかということに気を使うタイプ。だからこそ娘の気持ちに無理をさせていないか心配だし、やりたいことはできるだけ叶えてやりたい。
でも無理なことは無理で、、、。
きっと新しい国に住むのはどんな所か楽しみという思いもある一方で、今まではあった普通の日常、普通に思っていた少し先の未来の予定にもう自分はいないんだということに直面した時、やっぱり悲しいと思うんです。それが次のプレイデートの約束だったり、クリマスイベントだったり。そしてイギリスの小学校の最終学年である娘には、修学旅行や卒業式にプロムなどYear6ならではのイベントがいっぱいあります。その話しが学校でもあるらしくやっぱりそういう日は「修学旅行、行きたかった」と。
娘は泣かないんです。わがままな言い方もしない。言い方は明るく、「今日修学旅行の説明会があって、すっごく楽しそうなんだよー!カヌーに乗ったり、乗馬もするんだってー!あーあ、私も行きたかったよー!」みたいな。私が「娘ちゃんの気持ちは本当にわかるよ。ママが娘ちゃんだったら絶対行きたいもん!行けなかったらすっごく悲しいよ。」と言うと、泣きそうなのを必死に堪えるんです。泣いたらいいのに。わーって泣いてわがままを言ってもいいのに。そう伝えてはいるんですけど。
心のケアがちゃんとできているか不安になります。