皆さん今日も声掛けあって生きてますか
昨日はなくなりそうなトイレットペーパーを買いに、スーパーは売り切れだったので、小さい薬局に行ったらありました。
そんな事が嬉しかった昨日。
その途中、駅の前で募金活動をしている若い子達がいました。2回通ったので、2回入れたわけですが、道行く人は知らんぷり…
入れてもチャリンと言わない。
自由だからいいのですが、切なくなった瞬間でした。
あの時素通りした皆が信用のある所に募金してる事を信じよう、っと。
私も、もう仕事に行っているわけですが、仕事している人は沢山いると思いますが、皆
モヤモヤしているのでは?
私も初めはそんな感じで、職場でも何か出来ないか?
と思って、上司に色々提案して呼び掛け続けていたら、動いてくれて、私達職場の独自の寄付が決まりました
月曜から電力を使い、停電もない都心で働くという、何か一種の矛盾を感じていましたが…
寄付も決まり、私達のお給料は少しは少なくなるけど、皆にも意義を持って働いて欲しくて、また自分も持ちたくて。
そしたら、モヤモヤは少しなくなりました。
私達も大変だけど、私達も一緒に頑張らないと
働くという事は、食べていくという事、生きるという事。
今まさに、日本中の人が生きようとしていると思います。
立場や形はどうであれ。
被災者の方が復旧しようとした時、光に向う事が出来る様に、私達、一人一人では微力でも、皆で社会を回して光を差し続ける事が大切だと、私は思います。
ああだこうだ言う人はいるけど…
働く方だって、必至です。
会社によっては、自粛、不謹慎等の、完全に見えない壁によって危機においやられているところもあります。
そうしたら食べれなくなるんです!
だけど今回の地震の直接の被害者ではない、つまり支援なんかして貰えません。
残るのは莫大な借金です。
そんな人達を無くすためにも、矛盾を感じながら働いてるひとを、どうか責めないで欲しいものです。
批判している人こそ、その時間を意義を持って生きて欲しいです。
大切なのは、意義を持って臨んでいるかどうか、ではないでしょうか。
不安の中、必至に生きようとしている被災地の方も、心ない批判に耐えて必至に社会の一員として働いてる人達も、精一杯頑張ってるんだ!と感じた1週間でした
どうかみんなで!生きましょう

昨日はなくなりそうなトイレットペーパーを買いに、スーパーは売り切れだったので、小さい薬局に行ったらありました。
そんな事が嬉しかった昨日。
その途中、駅の前で募金活動をしている若い子達がいました。2回通ったので、2回入れたわけですが、道行く人は知らんぷり…
入れてもチャリンと言わない。
自由だからいいのですが、切なくなった瞬間でした。
あの時素通りした皆が信用のある所に募金してる事を信じよう、っと。
私も、もう仕事に行っているわけですが、仕事している人は沢山いると思いますが、皆
モヤモヤしているのでは?
私も初めはそんな感じで、職場でも何か出来ないか?
と思って、上司に色々提案して呼び掛け続けていたら、動いてくれて、私達職場の独自の寄付が決まりました

月曜から電力を使い、停電もない都心で働くという、何か一種の矛盾を感じていましたが…
寄付も決まり、私達のお給料は少しは少なくなるけど、皆にも意義を持って働いて欲しくて、また自分も持ちたくて。
そしたら、モヤモヤは少しなくなりました。
私達も大変だけど、私達も一緒に頑張らないと

働くという事は、食べていくという事、生きるという事。
今まさに、日本中の人が生きようとしていると思います。
立場や形はどうであれ。
被災者の方が復旧しようとした時、光に向う事が出来る様に、私達、一人一人では微力でも、皆で社会を回して光を差し続ける事が大切だと、私は思います。
ああだこうだ言う人はいるけど…
働く方だって、必至です。
会社によっては、自粛、不謹慎等の、完全に見えない壁によって危機においやられているところもあります。
そうしたら食べれなくなるんです!
だけど今回の地震の直接の被害者ではない、つまり支援なんかして貰えません。
残るのは莫大な借金です。
そんな人達を無くすためにも、矛盾を感じながら働いてるひとを、どうか責めないで欲しいものです。
批判している人こそ、その時間を意義を持って生きて欲しいです。
大切なのは、意義を持って臨んでいるかどうか、ではないでしょうか。
不安の中、必至に生きようとしている被災地の方も、心ない批判に耐えて必至に社会の一員として働いてる人達も、精一杯頑張ってるんだ!と感じた1週間でした

どうかみんなで!生きましょう
