『自閉症スペクトラム〜10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体〜』というタイトルの本を読みました。
この本は、とりあえず俺と踊ろうのいちは先生が「発達障害や自閉症スペクトラム障害といったものに興味はあるが、知識は全くないといった人たちが読むにはお勧め!」と紹介れており、まさに私のことだと思い、読んでみた。
感想。
「わかったような、わからないような、なんか難しい…。」
もちろん書かれている内容は理解出来たけれど、何か実際に彼らと接するのは難しそうな印象を受けた。
皆と同じ場所で自閉症スペクトラムの人が生活するためには、そこでその人が充実した時間を過ごせるような、特別なお膳立てをしなければいけないのです。
子育てや、教育の場ではそのような対応も、周囲の協力や配慮があれば可能かもしれないが、社会に出ると難しいかなと。社会全体に余裕があればいいのだけれど、自分のことで一杯一杯な人の方が多いので。私自身もそうだし。どう対応するのかも、勉強や訓練をしないといけないしね…。
しかしながら、そこまでの対応は出来ないとしても、そういう人達がいるという多様性を理解し、排除するような考えや言動には注意しようと思ったし、もし当事者や家族から、こういう特性があるのでこういった風に接して欲しいという要望があれば、応じたいなと思った。今の私に出来るのは、それが精一杯かな。
ここからは無理矢理、双極性障害に絡めた話題。
自閉症スペクトラムという考え方は、普通の人から古典的自閉症の人まで、スペクトラム状に特徴を持った人が存在していることだよね。
それは理解出来たが、なぜ、双極性スペクトラムは、普通と双極性障害の間ではなく、うつ病と双極性障害の間に存在する考え方なのだろう?
普通の人にも波はあるし、双極性スペクトラムは、普通と双極性障害の間に存在しているという考え方の方が、自然ではないのかなと思った。
おそらくその分類は、臨床的意味をなさないのだろうが、普通から双極性障害まで、連続して波を持った人がスペクトラム状に存在し、どこからが双極性障害で、どこからが普通だなんて区切りが存在しないのが実際ではないだろうか。
だからあの時、気分の波の説明を見ながら「こんなの、俺にもあるよ。」と私は言われたのでしょう?
参考