双極性II型障害という病 その1 | リリカルうつろぐ。

リリカルうつろぐ。

双極性障害の移ろいゆく心を語るブログです。
ただの雑談もあります。

双極性II型障害という病 −改訂版うつ病新時代−

という本を読みました。

 

 

 

 

今まで読んだ双極性障害の本の中で、私の症状と照らし合わせると、この本の描写が一番しっくりきたよ。

 

なので、すごく書きたいことがたくさんあって、アレもコレもと書き始めたら、全くまとまりがなくなってしまい、何回かに分割して書こうかな思う。

 

 

 

さっそく、本文から引用。

双極性II型障害とは、単極性うつ病にも、躁うつ病にも還元されない独自の疾患なのである。

 

この本は、このようなスタンスで書かれているのね。

 

双極性障害の本は、I型とⅡ型をひとまとめ、またはI型に付随する形でⅡ型を語ることが多い中、著者の内海先生は、それらとは違った視点で双極性Ⅱ型を語られている。

 

 

さて、何が違うんでしょう。

 

 

まずは、I型とⅡ型の、躁と軽躁の違いから。

 

双極I型をⅡ型から隔てるのは、一言でいうなら、「極性」の明確さである。つまり双極I型はクリアな病相の経過を示す。混合状態を呈する場合は別であるが、しかしⅡ型に比べてその頻度ははるかに少ない。

 

うん、これはなんとなくわかる。

次は、単極性うつ病やI型のうつ状態と、Ⅱ型のうつ状態の違いについて。

 

症状が出揃わないこと、変わりやすいこと、出現の場面選択性があることは、通常の「ゆるぎない」、「重力のある」抑うつ状態のイメージとは様相を異にする。しばしば「抑うつ神経症」や「性格要因の強いうつ状態」などと診断され、この命名から予測されるように、漫然と、さしたる指針もなく、治療が流されている事例が多い。

BPIとBPⅡの鑑別でも述べたように、躁だけなく、うつ状態に関してもBPⅡは「極性」がクリアではないのである。

 

まさに治療が流されていた、双極性Ⅱ型と診断される前の私がそこにいるじゃん!


一般的な双極性障害の説明には、I型=うつと躁を繰り返す。Ⅱ型=うつと軽躁を繰り返す。と、躁と軽躁の違いはあれど、うつ状態のクオリティまでは説明してくれていないのね。

 

でもこの本は違ったの。そうそう、そうなの、うつのクオリティが違うの。やっとわかってくれる人に出会えた。この一文だけで、私はこの本の虜になってしまった。


今まで、誰もそのことを説明してくれなかったし、自分自身でも、世間一般で言われるようなベッタリと地を這うようなうつ状態がずっと続くという感覚はなかったし、軽症なんだろうと思っていた。

でも期間は短くても、襲って来る波はかなり深かったりするんだよ?でも、周囲から全然理解されないの。


「すごく落ち込んでいるのかと思ったら、結構元気じゃない。」

「助けを求めるから心配して来てみれば、全然平気そうだね。大したことなかったんでしょう ?よかったね。」

「落ち込むことなんて誰にでもあるしさ、ちょっと大袈裟に考え過ぎなんだよ。」

周囲からも、主治医からもそう思われてしまう。実際にそう言われたことが何度もあるし。みんながそう言うのは、理解出来るよ。私だってそんな人が居たらそう思うもん。


でも、そうなんだけど、そうじゃないんだ。本当にみんな、こんなに深く落ち込んでいるの?元気そうに見えるかもしれないけど、もう死んでしまいたいんだ。これが普通なの?みんなは私みたいに、自分の感情を上手くコントロール出来ないことを悩んでいるの?それって普通なの?みんなと同じなの?

 

なんか違う気がする。でも誰もわかってくれない。誰もみんな私をちゃんと見てくれていない。

 

それともやっぱり私が大袈裟なの?みんなそうなの?

 

 

ずっとずっとそう思って生きてきた。
 

 

気分の変動や循環が顕著な場合、そのさなかにある患者は、一定しない自分の状態について、強い自己不確実感や不全感をもっている。しばしば「自分があてにならない」という、いたましい自己認識にいたる。

 


そう、それ!何が普通かわからないでしょう!?

 

 

 

もっと早くこの本に出会っていたら、いままで抱えていた、誰にも理解してもらえない曖昧な気分の波とか、何が普通かわからなくなるこの感覚さえも、病気の一部だったんだと思えたのに。

 

そんな風に思った。

 

 

でも今は、この本に出会えたから良かった。

こんな風に解説してもらえたのが、すごく嬉しいから。

 

 

今日はここまでにしておくね。また続きを書く予定です。