よく言われる言葉に「出会いあれば別れあり」というのがある。




確かにそうだ。生を受けた時点で生からの別れは確定してしまうのだから。




そこまでの話でなくとも、知り合いが転勤するなど、この時期に「別れ」はつきもの。




その「別れ」に寂しさが伴うのは、しょうがないと分かっているのだが、なかなか頭では切り替えられない。




また「別れ」がくるが、それが成長につながれば意味合いのあるものになるのだろう。
時にニュース番組のオープニングの音楽を聞きたくなる時がある。




小学生や中学生の時に、家に帰っても両親は働いていたので家には誰もいなかった。多少の寂しさはあったものの、今では懐かしく思う。




そのためか、夜のニュース番組の時間帯は家族全員がいる時間なので好きだった。だからかもしれないが、昔あったニュースステーションのオープニングの音楽などを聞くのは好きだ。




父が風呂上がりで母が寝巻姿、妹と四人でニュースをなにげなく見てた。でもたったそれだけのことでも、本当に楽しい時間だった。



一年ぶりの実家帰り。久しぶりに四人でニュースを見たいもんだ。
2/16に再放送のプロフェッショナルを見た。香川県にある定時制高校の岡田先生が出ておられた。




まず最初に思ったのは番組で取り上げられた生徒のこと。




数人のことをピックアップしていたが、皆かなり心が繊細だなと思った。心が弱い時に使う「繊細さ」ではなく、相手の気持ちを感じとる「繊細さ」。その能力がかなり高い気がした。




今の世の中に一番必要であり、しかし欠けているものだ。




どちらかというと自分は人の表情や行動からその気持ちを読み取るのが得意に思う。得意というか、「この人はこういうことを考えてるのかな?」と自然にとらえてしまうクセがある。そのクセが時に嫌になることもあるが。




今回の生徒の表情を見て思ったのが先に書いたこと。彼らは「繊細さ」が高いがゆえにタバコを吸うなどの行動をとるのではなかろうか?つまり、自分の気持ちを抑えようとするがための行動ではないのかと思った。




そして次に岡田先生について思ったこと。それが岡田先生と生徒の距離感である。




過去に学習塾の講師をバイトでしていた経験があるが、勉強が苦手な生徒が多かった。その時、まずは楽しんで勉強をしてもらおうと、教えることに身近なことと関連性を持たせてみたりした。時にギャグを言ったり…。しかし、あまりにもその距離を縮めすぎると友達になってしまうし、遠すぎるとコミュニケーションがとれない。その距離のとり方が本当に難しかった。



岡田先生はその距離のとり方が絶妙に思う。友達のように接近した距離であるが一方で精神的位置は必ず上にあったような気がした。



先生と生徒が友達のようになっても、先生と生徒の関係が維持できるのは先生が生徒よりも精神的位置が上にある時である。この位置が同じになったり、逆転したりすると、先生と生徒の関係は崩れ、「教師になめてかかる」ことや「暴力」などが起こるのではなかろうか?




大切なのは先生と生徒の精神的位置が、生徒が依存できるだけの距離にあることであり、近すぎず遠すぎない距離を持つことであると思う。