先日、大阪時代の中学・高校の同級生が、学会で東京に来た際に、都内にある弥生美術館の『はいからモダン袴スタイル』展に行ったら、母校の袴等が展示されていて、誇らしかったとSNSに投稿しているのを見た。
すかさずコメントをしたら、『みやびちゃん東京に住んでるんやから是非行ってほしい!』と。
美術館の場所を調べたら、慢性膵炎で通っている大学病院の近くだということが分かり、昨日病院の帰りに行ってきました。
美術館は東京大学の近くにあるんだけど、昨日は東大院終了者の学位記授与式だったようで、ガウンを着た院生と保護者が誇らしげに記念撮影をしたりしてました。
さて、美術館の展示ですが、内容は、明治・大正の女学生の通学服だった袴。
スカート状の女袴が考案され、広まっていき、和装から洋装へ移るまでの期間に花開いた実物の袴や資料等が展示されていました。
美術館は3階建てで、展示物は1階から3階まで。
実物の袴や徽章等が展示されている1階だけは写真撮影が禁止。
早速、1階の袴展示物コーナーで母校の大正時代の制服袴を発見!(本当は撮影禁止なのに、同級生が撮影したらしく載せていたので拝借)
私の通っていた学校は、幼稚園、中学、高校、大学とあり、幼稚園以外は女子校。
私は、中学高校の6年間通学していました。
学校は、大正6年に女学校として創立され、当時の制服は袴。
母校のシンボルカラーは楠カラーで、私が着用していたセーラー服のステッチやリボン、制カバンにも楠カラーが用いられていました。
徽章・袴章コーナーには、色々な女学校の物が展示されており、母校の校章も展示されてあった。
菊と水をかたどった懐かしい校章を見つけた瞬間、自分も6年間つけていたんだなと、感慨深い気持ちに![]()
当時の徽章や袴章は、学校のシンボルであり、つけることで誇りに感じ、学校への帰属意識を高めたそうです。
卒業後は、かんざしや帯留にする人もいたほど、少女達の憧れであり、愛着をもつ存在だったそう。
実際に私も母校の制服に校章をつけて歩くことは、誇りに思っていたなぁ![]()
2階の展示室では、母校だけが当時の授業風景など映像で流されていた。
(生け花の授業っぽい)
東京の美術館で大阪の母校が取り上げてもらえることが、なんとも嬉しくもあり、誇らしくもあり。
大正時代から続く母校。
当時の大先輩方は、正にはいからさんが通るの世界。
改めて、歴史ある学校に通っていたんだなと。
母校は来年で創立110周年を迎える。
近年、女子校の人気が落ち、共学になる学校が増えてきているけど、母校だけはこのままずっと女子校として残ってほしいな。
大学受験は志望校に入れずに失敗だったので、受験ではこの中学受験だけが唯一嬉しい合格(笑)
忘れもしない受験番号274番。
3月3日の合格発表の日、母と2人で母校に張り出された合格者の受験番号を見に行った。
なかなか274番が見つけられず『ない、、ない、、』と泣きそうになっていた私の隣で、母が『あったよ!!』と叫び、2人で抱き合って涙しながら喜んだあの日の光景は、ずっと忘れないだろうな![]()
私の原点でもある母校。
あの学校に6年間通えて幸せでした![]()



