アレは2010年夏。 | タイと踏ん張る

タイと踏ん張る

タイ生活で干支が一周し2019年末に日本に引っ越し。
旧タイトル『タイに腰掛け』…タイに腰を据える覚悟は無いけど、腰掛けじゃなく踏ん張って行こう‼︎→『タイと踏ん張る』
タイ人夫と長女9歳、3歳のダウン症の長男、2023年5月産まれの次男の5人家族。

昨日、結局一睡もせずでした。


目が冴えて冴えまくってた。

そして思い出した、前にもこんな風に一睡もできなくて過ごした日があった。


アレは来月14歳になる甥っ子がまだ赤ちゃんだった夏。


里帰り出産から新居に引っ越しする妹を手伝いに隣の県について行った日。


ハイテンションって感じで寝れなくって、妹家族が新しく住む街のゴミの分別方法の紙を熟読して迎えた朝。


当時プー太郎だったので1週間ほど引っ越しの片付けと子守り要因で一緒に過ごした。


2010年の3月。

2年半働いたタイのホテルを退職して、日本に帰国。


その当時はもうジュイと付き合って3年近く経った頃で、半同棲みたいな感じで過ごしてたアパートを引き払って、帰国。

私26歳。


そもそも2年の予定だったし、とにかく日本一回帰るか…そう言う気持ちだった。


帰国後、世界チェーンのホテルのフロントの仕事の派遣で行き始める。


実家が田舎過ぎて通勤に2時間近く掛かる。

なんか色んなストレスで、額がニキビだらけになった。


結局家を出る決意もできなくて、仕事を1ヶ月足らずで辞めたと思う。

仕事辞めたら、スッと額いっぱいに出てたニキビが消えた。


車が無いと生活に不便で、次の仕事に悩んでた。親の車は使わせて貰えるけど、マイカーを購入すべきか、悩んでた。


やっぱりタイが恋しくて、ジュイと一緒にいたいという気持ちが日に日に強くなり、どうするべきが悩むに悩んでたな〜。


結局タイに戻ることを決意し、2010年12月に同じ職場に歓迎されて、戻った。


その頃、世界チェーンの5スターホテルに勤務してたジュイ。


サッカー選手になる為のプロテスト受けに行くって、タイ到着数日後くらいに言われて、その1ヶ月後くらいに、私の前から離れていった。


タイ国内での遠距離恋愛スタート。


もし私が何か心の病の診断が付くならば、発症は2010年だと思う。


あの派遣の仕事でニキビまみれになったあの頃。


私は思春期真っ只中もニキビひとつない肌だった。


あんなに吹き出物まみれになったのは、人生であれが最初で最後だった。


次の心療内科受診で、先生に言ってみます。


もう14年か…。

完治するまで長そうだな。


でもずっと得体の知れないものに悩まされてたのか、診断ついて対策が取れると思うと、それは前向きに向き合おうと思う。