こんにちは!

yuricoです照れ


お久しぶりなブログになっちゃいましたが、

元気です。


今日は表現すること、について書きます。


念願の!way back homeのダンスレッスン受けに行ったのですが、そこでこんなワークがありました。

※ここ数回もうダンスブログみたいになっちゃってる🤣

すみません。次あたりは別な内容書きたいと思いますので!


2人1組になって、お互い向き合う。

で、音楽を流してその曲に合わせて1人が即興で踊り、もう1人が鏡みたいにその人の踊りに合わせて踊る。


そういうもの。


で、


それが、、、、

全っっっ然

出来んかった笑い泣き


インスピレーションのまま踊る方も、

相手に合わせる方も、どっちも。


イニシアチブとる方になった場合は、まず「え!?え?!何する!?次どうするどうする?こんな感じでいいの!?」って思考がうるさくて、ずっとそわそわ。


合わせる方になった場合は、

まず相手のことを見れない。


鏡のように同じタイミングで同じ動きをするなら、相手のことをちゃんと見ることが大前提なのに、見ること自体が何か恥ずかしくてそわそわ。

(「全然目を合わせない!ちょっとちゃんと見て!笑」と何度ツッコまれたことか)



スロウなテンポの感情をぎゅうっと込める感じの曲だったので、本来なら、相手と響き合っている感じで、絶対めっちゃ気持ちいいと思う。


けど、

今回の私は、終始そわそわそわそわしてた。


何でこんな上手く出来ないかって考えたのだけれど、


たぶん、


自分を出す、

表現する、ということを

ずっと抑えてきたから。


湧き上がるものをそのまま出すということに、蓋をし続けたせいで抵抗がすんごい。


さらにそこに2人1組だから、勝手に「人の目」という抵抗を加えちゃって、もう全然開かないのですよ、わたくしの表現の扉は笑い泣き


でも、


だからこそ、

音から湧き上がる感情を表現するダンスが好きで、


そんなダンスをしている人が眩しくて憧れる。


(だから way back homeが好きなんだな)


嬉しいときは嬉しい

悲しい時は悲しい、

辛い時は辛い、怒ってる時は怒ってるって表現することって素晴らしいこと。


切ない、とか愛おしい、とか

そういう繊細な感情も。


表現することって本来自然なことのはずなのに、

何だか自分の中で勝手に難しいことにしちゃってるんだなぁって思います。


もともとダンス自体、憧れ過ぎて、自分がやってはいけないことのような気がしてずっとやらなかったくらいだから(感情に蓋をしすぎて、もはや意味わからない)


今、踊っていると置いてきた何かを取り戻しているような満たされる感覚がして気持ちいいのです


表現することは自然なことで

表現することは自由なこと

誰にも許可なんか要らない


まだまだだけど、

ここから少しずつ、

ちょっとずつ、

取り戻していこう。


蓋をしたのは私だし、

蓋を開けるのも私だから


もしあなたが、ずっとやりたいことがあって

蓋をし続けているのなら

いつからでも

自分の意思で

蓋は開けられるということは間違い無いです


「今更始めて何になる?」

「全然出来てないじゃないか」


私も湧き上がるエゴを宥めすかしながら

ちょっとずつ進もうとしているところです




やっちゃいけないことなんて無い

表現の扉を開けよう


引き続き、素敵な1日を✨