前回記事でサラリーマンとして、出来る男というウソの姿を10年間演じ続けて、燃え尽きた自分がDIYによって救われたという話をしました。
そこで、そのきっかけとなった最初の掘っ建て小屋作りの過程をアップしてみたいと思います。
それに、高所恐怖症で手先も不器用、金づちも握ったことの無い人間がどうやってDIYに慣れていったのか、失敗談も含めてその軌跡を示すのも面白いのではないかと思います。

人力で土地を造成、ツルハシの柄が折れてしまった
※20年以上前なのでデジカメ画像も汚い・・・汗
サラリーマンを辞めてから半年間は本当に寝てばかりだった私でしたが、祖母が亡くなったことをきっかけに1998年に入って故郷へ戻りました。
地元へ戻ってからも死んだ目をして生気を失っていた私を見かねた母に、畑に小屋を作ってくれと頼まれたのがきっかけでした。
この穴に柱を立てる
木製の柄にビシビシと衝撃が伝わってきて辛い作業だったし、手は豆が破れて血が出るしで散々でした。
専用道具が無くて柴鎌を使った
倒木だけでなく、手入れされていない林の間伐材も伐って山から運んできました。
後は本当に釘だらけの煤けた古材などを集めて使うことにしたんです。
当初、釘だらけの古い柱を見た時は、それこそ唖然としました。
それまでは街での浪費・・・いや消費生活に慣れきってしまい、家具でもなんでもピカピカに磨き上げられたモノを買うのが当たり前だったんです。
家具も家電も古くなればゴミとして処分するもので、自分で作るなんてめんどいし、そんなダサいものなんか要らねえよ、という感覚でした。
そりゃまあマンション住まいで家具も最小限、冷蔵庫も要らんとか見た目イイけどね。
だからもうカルチャーショックというか、
正直「こんな古くて腐ったモノ使えっていうんかよ!」って思いましたね。
手ノコやナタなどで作業した
実は私に小屋作りを頼んだ母こそがDIYの先生だったんですね。
封建的な田舎の農家で偏屈な夫と家族の世話をしながらの貧乏生活、それでいて農作業は男以上に働きを求められる。
さらに障害を持った息子(私の弟)が生まれて、とにかく出費を減らさねばならないと母が自己流で小屋を建て始めたのです。
それには理由が有った
その母は終戦後の混乱期に台風で家が壊れてしまって、和歌山市内から着の身着のまま母子ともども田舎へと移ってきました。
母方の祖母は夫婦別居していて母子家庭でしたし、何一つ財産も無く親戚を頼って住まわせてもらいながら、細々と内職などで食いつないでおりました。
母は弟と妹の為に、勉強は出来たのに進学も諦めて祖母を手伝っていましたが、あまりに食うものがなくて米ヌカを食べてみたりと、とにかく極貧の子供時代だったそうです。
そんな母が誘われていた東京行きを諦めてまで田舎の農家へ嫁に来たのも、「飯が食えるし近くに居て欲しい」という祖母の強い押しが有ったからです。
そうやって「最低限食える」はずの家に来たは良いものの、その後も重度の障害を持った弟が生まれた上に家族の無理解も重なって苦労の連続でした。
「お前が産んだ」・・・ハラスメントなどという言葉では語り尽くせない日々。
そして、そのことが私が小学生の頃からヤングケアラーとなって、生涯を通じて母を支え続けることへとつながってゆきました。
派手な生活で感じていた虚しさの根っこもつながる親子の連鎖、幼少期から家族を通じて見せつけられてきた人間の弱さと強さ・・・。
その母が自ら希望を捨てたことの是非はともかく、経験からくるであろう
骨の髄まで染み込んだドケチ精神
を私はDIYを通じて徹底的に教え込まれたわけですね。
自立するのが掘ったて柱の長所
それはもちろん、こんな小さな小屋だからでもあります。
ヒモで仮止め・・・本当に大雑把
今はホゾ組の在来工法も使いこなせるようになっていますが、何しろ当初は金槌も握ったことのない人間でしたから、固定するのには針金や釘を使っていました。
これを自然の蔓などに変えるとサバイバル本に書いてあるようなものになるでしょう。
掘っ立ては筋交いなしでも結構しっかりする
※広さは約6×2mある
それが出来るのは、そして一人で全てやってゆくには、この方法が最適。
例えばサバイバル中に道具もなしにホゾ組なんか出来ますか?
出来るかも知れないけれど、果てしなく時間がかかりそうです。
無いなら無いで柔軟に工夫すること
その場に有るものを使って、それを最大限に利用する
そう、そこなんですよ!
母から学んだローコストDIYの真髄は