会話して初めて、相手を理解できる(可能性が生まれる…) | りりーのブログ

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訪れた方が、楽になったり、前向きになれますように。
ポジティブ日記、感謝、本の感想などを書いていきます。

最近はじめましての人に会うことが多く、

そのたびに自分を顧みる機会になっています。

 

コミュニケーション、

自分にとってとても大事なんだな

ということ。

 

人のことは読めないから、

「察する」のには限界がある。

その人がどう考え、どう思うかは

毎回違う。常に更新されていく。

だから、

聞く、聞き合う、伝え合う

ことが必須!

 

もちろん、悲しいことがあった時、

悲しいだろうな、と推し量ることも必要だし、

言葉にしたいと思わないことも

あるかもしれないし、それは例外。

 

けど、基本は、言わないと伝わらない。

というか、

伝えるために言う。

わかってもらうために言う。

わかるために、聞く。

 

そこのコミュニケーションを

面倒くさがる人とは、

続かないし、しんどくなる。

「どう思ってるの? 予測しろってこと?

むりーー!」と。

 

だから、ただ黙り込んで不機嫌で、

「私の機嫌が悪いのはなんででしょう?!プンプン

みたいな態度を取る人は本当に苦手…。

 

気分によって態度が変わる人は本当に苦手。

幼少期の経験も相まって、

脳内で赤い警告信号が出ます。

「ちょっと今一人でいたいんだ」とか、

「あー、今感情の整理したいから、

話したくないんだ。ちょっと待ってくれる?」とか

言ってくれればいいのに。優しめに…。

こういうこと言うの、

とても勇気が要るということも、

わかっているのですが。

 

風鈴七夕花火

 

話がそれましたが。

 

こちらが思ってもいなかったことを、

相手は考えていた!というのは

意外とよくあります。

 

あるイベントについて、共同開催者の方が、

「◯月◯日私は主催可能ですが、

人来ますかねえ?」

と言っていた。

 

→人が来ないならやる意味ない、やりたくない、

の意かと思ったら、

人が来ないのに場所を丸々借りるのは

そこのオーナーに申し訳ない、という意だった!

 

ということがありまして、びっくりしました。

ほぼ自動思考で起こった自分の解釈と、

相手の意図が、全然違った。

 

もう一人の主催の方が、

「人が来ないのに開催するのしんどいと

いうことであれば、遠慮せず

相談してくださいね」、と言って、

会話を深めてくれたからこそ。

 

自分基準による、自動的な解釈・判断って

重々気をつけなければな、と思った出来事でした。

 

雨上がりの鴨川。