コミック版「自分に気づく心理学」森晶磨 監修・加藤諦三 | りりーのブログ

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「自分に気づく心理学」という書籍があるらしくて、

その漫画版を読みました。

 

 

メモしてたらすごい量になってしまい。

とりあえず抜粋しまくります。

 

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● 愛情欲求を満たされず大人になってしまった人たちはたくさんいる…

 

「あなたがわがままを言って誰か受け入れてくれたであろうか。子供の本性はわがままなのである。それなのに、あなたは一切のわがままを自分に禁じた。それは周囲の人が禁じたからである。それを禁じなければあなたは拒否されたからである。いまだに多くの親が、わがままを禁じることが教育だと誤解している。彼らもまた、そうやって育てられてきただろうから。」また、時間の制約、周囲の目、など、要因は他にもあるかもしれない。

 

甘えられなかった子は、生真面目、甘えたくても甘えを表現できない、いつも他人に対して気兼ねしている。他人の拒否を恐れている。いつも周りに責められていると感じる。小さいころ親によく責められた。親のご機嫌をいつも気にしていた。手のかからない子・よくお手伝いする子だった。甘えることはみっともないことと思っている。規範はよいこと、立派なこと(とおもっている)。

 

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これは私(りりー)の私見だけれど、こういう「愛情欲求をみたされなかった」というのはゼロ・ヒャク(完全に満たされた、あるいは全く満たされなかった)ではなく、程度問題だと思う。つまり、頻度・程度の形容詞は人それぞれで、それをどのくらい自分がダメージとして受け取ったか、親以外でそれを満たしてくれた人がいたかどうか、などにもよる。「親は、XXX 愛情欲求を満たしてくれた。」という文の、XXXには、頻度や程度が入る。「時々・時間がある時・たまに・ごくたまに・大概の場合において・すごく忙しい時との落差は激しかったが」など…。だから、「親から全く愛されなかったわけではないから、私が愛情欲求を満たされなかったなどと言うのはおこがましい」とは考えなくてよい。程度問題で、どの程度だったか、を考えるべきで、それが自分にとって十分ではなかったのなら、それは十分ではなかったのだ、と考えて、よいのだと思います。問題認識、という点で。

 

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こういった人は、優しさに接し、優しさに気づき、初めて、自分はこのように他人から接してもらったことがないと気づく。甘えられなかった子の過去からの脱却のカギとなるのは「やさしさ」。ただ、優しさに触れてもそれに気づかないこともある。他人のやさしい気持ちに接しても、それを誤解することがある(責められている、皮肉を言われている、など)。こういう人は、たとえ大人になってからでも、自分がいままで経験したことがないような人々の気持ちを自分は味わう可能性があることを知っておく。つまり、心のドアを開けておく。周りの人は、あなたが思っているよりあなたを受け入れてくれる。

 

「大人になって依存的でないのは最高である。しかし事実その人の中に、子供時代に満たされなかった何らかの欲求があるのなら、その欲求があるということを自覚することが大切である。雨の日がわるいのではない。雨の日に、晴れていると信じることが、心を病ませていくのだ」

 

● 甘えとは…

 

多くの人が「甘え」を抑圧したまま大人になっている。それが神経症の原因ではないか。では、「甘え」とは?

 

「甘えとは、自分の存在について相手の責任を追及することである。自分の存在について相手が責任を持つことを求める心理が甘えの心理である。自分について何かうまくいかないとき、相手の責任を追及するのが甘えている人間の行動である。なんで自分の思う通りにいかないのだ、なんで自分の期待する通りにしてくれないのだと相手に怒ることが、甘えるということである。」

 

小さい子供の頃に、人はこの無責任な責任追及の欲求を満たすことで、成熟した大人となることができる。子供の甘えは極めて自然な感情である。小さな子供が、A店のハンバーガーではなくB店のハンバーガーが食べたいという。そんなのどっちだって同じだと大人は言いたくなるが、その子にとっては今、B店でなくてはだめで、A店のハンバーガーを食べさせると不機嫌になったり、騒いだりする。このような甘えが小さいころに十分に満たされなければ、大人になってもその欲求不満を抱えたままになり、怒りっぽくなったり、不機嫌になったり、沈み込んだり、横暴になったりする。そして、恋人に過剰なまでに尽くす、神経症どうし、互いに拒絶しながらも付き合って泥沼になる、空虚感を埋めるために結婚する、あるいは仕事に没頭する。

 

「子供らしい振る舞いを許されなかった横暴オヤジは、今になってオヤジの顔をした子供となって周囲の人間を苦しめるのだ。小さな子供が母親を口うるさく責めさいなむように、横暴オヤジもそうやって家族の心を蝕んでいく。しかも、社会とか道徳とか愛情とかいう仮面をつけるから心の中まで責めさいなんでくる。その実、そのオヤジはただ人に甘えたいだけなのに、それを正当化しようとしたり、権威を盾に取ったりするから。最悪の場合、家族がノイローゼになり自殺という悲劇も起こる可能性があるが、当の本人にはまったく心当たりがない。自分の家族を地獄に突き落としておいて、自分ほど家族を愛した人間はいないと思っている人が、本当にこの世の中に生きているのである。」ホラーである…と言うのは簡単だが、ずっと、「強くあれ、甘えるな」と小さいころから叩き込まれてきた当人にとって、自分に存在する欲求を認めて、ましてそれに従い甘えるなんてどれほど難しいか。プライドが許さない。なんというか、昭和の教育のしわ寄せが、今来ている気がする。

 

では、この甘えの欲求が満たされなかった人が心の底から満ち足りるのはどのような時かというと、それは「自分の責任を他人がとってくれた時」。なぜなら、その人は、体は大人でも心は「子供のように無責任になりたい」から。「人々と親密になれたとき、気持ちが落ち着く」ようになれば、成功である。甘えを悪いもの、するなと言うような人は、あなたにトイレに行くなと言っているのと同じである!

 

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以下、また私見ですが。子供を育てる人は、幼少期の育てられ方がいかに大事か、小さい子供にとって親はいかに絶対的な存在か、もう一度考えてほしい。そういうことを彼らに必修で教えてほしい。子育ては、わがまま、甘えの連続で、それに毎日毎日精一杯向き合い、受け入れること。抑圧したり、コントロールしようとするのではなく。それを分かっている親がどれだけいるか。だからこんなに幼少期の欲求を満たされないまま大人になり、自分を責め、苦しみ、他人をも苦しめる人がいる。保育士になりたいとか思うほど子供が好きでないと、子育てはできないのではと、思います。

 

いかがでしょうか?

腑に落ちるところ、刺さるところが、

けっこうありましたねぇ…

 

長々と最後まで読んでくださって、ありがとうございますピンクハートお願い