赤瓦ちょーびんと行く!
沖縄ツーリスト
宝城探訪・首里城再発見
首里城物語 ③
①はこちら↓↓↓
https://ameblo.jp/lilcha/entry-12588442918.html
②はこちら↓↓↓
https://ameblo.jp/lilcha/entry-12589386070.html
前回の続きです。
続いての門は「漏刻門」
15世期中頃に造られた門です
当時、高位高官もここでカゴを降りる事から
「カグイシ御門」ともいわれます
この櫓の中に水時計を設けて時間を測っていた事から
「漏刻門」とつけられました
この門をくぐると開けた所に出ます
右の赤い屋根瓦は県立芸術大学遠くに東シナ海
はるばると見ゆる
(はるばるとぅみゆる)
山嶽も海も
(やまだきんうみん)
んなつるぎつるぎ
(んなつるぎつるぎ)
首里の御庭
(すいぬうなー)
遥か遠くに見える山も御嶽も海も
みんなひっくるめて
首里城の庭のようである
という意味です
直ぐ側に日時計も置かれています
(写真は撮り損ねたので今度載せますね)
首里城は去年残念ながら火災で燃えてしまい
お見せするのもショックな写真ですが
焼けた後はこの様な感じでした
悲しくてじっくり見れない💦
赤い屋根瓦が見えているのは
万国津梁の鐘です
続いての門は「廣福門」
木造平屋建て、入母屋造り、
本瓦葺の門です
別名「中御門」
建物の中に神社やお寺を管理する「寺社座」と
士族の財産争いに関わる
「大与座おおくみざ」
という、役所がありました
寺社座は寺や権現などの事を職務としました
禅家方 禅宗と
聖家方 真言宗に分かれて
仕事をしたようです
風俗や法律違反などを監視してきた総横目方(スウユクミホウ)が廃止され、その役職も寺社座で扱われていました
現在はお手洗いに使われています
大与座は各間切(今でいう市町村)の人員調査や
キリスト信者の有無
首里士族の生死の届け出、
首里、那覇、泊、久米村の財産争いなどの調停
などを扱ったところでした
現在はここがチケット売り場として使われています
門をくぐると
下之御庭(シチャヌウナー)
この写真は首里城が燃える1ヶ月前に撮影したものです
下之御庭には
王統の記録である「中山世譜」のまとめや
各士族の家譜の作成点検をする
系図座と
中国への貢物、薩摩や江戸幕府への献上の品々を集める役所
用物座があります
「首里森御嶽」といわれる石垣で囲われた拝所
(京ノ内ノ前ノ御ミヤ首里ノ御イベ)
ここは京の内にある首里杜御嶽の遥拝所だそう
首里森とは、
国王がその位に就いた時に一度だけ現れて
「琉球を治める精霊(セジ)」をたまわる
君手摩(キミテズリ)という最高神が降りる御嶽と言われています
君誇御門(チミフクイウジョー)といわれています
1562年に石造りの欄干を造り
1754年、中国風に基壇を造りその上に門を造りました
3つの門があり、儀式の内容や階級によって使い分けられていました
公務でない者が門の前を往き来するのを禁じていました
現在出入りに使われている真中の門は
正月の儀式にさえ開けず、
この門が開くのは、
国王外出の時、
中国冊封使の来琉の時
中国皇帝への上奏文を持つ使者が
通る時と定められていました
中には
「納殿」薬、お茶、煙草などの出入りを管理する
「君誇」神女達が神をもてなす部屋
が、ありました
納殿は、燃えてしまっています
奉神門前から京の内へ抜ける途中
昨年の火災で燃えてしまった正殿跡
バスガイドとして
週に1回2回は通った首里城
ボロボロに燃えてしまったお城を見ると涙が出てきます
龍柱が見えています
そしてこちらが「京の内」
首里城の神様を祀る聖なる場所
首里城内郭の20%を占める広さがあり男子禁制でした
城内にある10の御嶽のうち
4つの御嶽がここにあり
首里城内最高の聖地とされています
京の内(チョーヌウチ)のチョーとは
霊力(セジ)の高い所を指す言葉だそうです
沖縄の古歌謡を収録した
「おもろさうし」(1531〜1623)には京の内を詠んだ歌が多く残っています
神女達が京の内で唄い踊る祭祀の様子が謡われ
京の内の重要性がよくわかります
京の内は
首里城の古い区画と考えられています
第一尚氏時代の倉庫跡が見つかり、
そこから出土した遺物は
国の重要文化財に指定されました
第一から第二尚氏時代に聖域として整備されたと考えられています
展望台からの眺め
京の内の隅に洞窟があります
ここにまつわる物語が残されています
琉球を統一した尚巴志の第一尚氏王統は
クーデターにより滅亡してしまいました
その際、
最後の国王尚徳の王妃と乳母は
世子を守ろうと
真玉森に逃げたそうです
ところが見つかってしまい殺され
崖下に投げ捨てられたと伝えられています
その母と子が隠れていたのが
このガマ(洞窟)なのだそう
崖下にはクンダグスクと呼ばれる
場所があります
クンダとは腓(こむら)の事で
ふくらはぎを意味します
投げ捨てられた際に、ふくらはぎの骨が崖に引っかかっていたからその名前が付いたという説があります
また、別の説によると
昔、糸満の真栄平の男が首里に奉公していました
仕事の過ちで罪に問われる事になり
この場所で「罪を許してください」と祈ったのだそうです
後日、男は罪を許されたので
祈った場所にあった骨を集め
真栄平へ持ち帰り拝所と墓を造って骨を収めました
ところがクンダの骨を持ち帰り忘れた為
この場所にクンダの骨が残っている事から
クンダグスクと呼ばれるようになった
という説があります
この崖には悲恋物語も残されています
真の話しというより
作り話ではないか
という説がありますが
昔、尚徳の王女が庭の手入れをしていた庭師
花当幸地里主に一目惚れしました
その王女が詠った琉歌がこちらです
あけず羽御衣裳や
(あきじばぬんすや)
濡れらわんゆたさ
(ぬりらわんゆたさ)
里がかた御髪
(さとぅがかたんちょび)
濡らすきゃくと
(ゆらしちゃくとぅ)
トンボの羽のような美しい衣は
濡れても構いませんが
愛しいあなたの髪(かたかしら)は
濡れないで欲しい
二人の恋は知られてしまい
幸地里主は尚徳によって殺され
王女はショックのあまり
この崖から身投げしてしまった
というお話です
尚徳の悪者感を出そうと
後々作られた話ではないか?
と、言われているそう
西のアザナ正殿や他の建物の新築、改修などの大工事が行われる時に、木材の搬入の為に設けられた門
通常は石を積み上げて閉鎖されていたそうです
首里城のお話はまだまだあるのですが
またの機会に書きたいと思います
午前中の数時間の
歩きツアーでしたが
楽しく勉強になるお話ばかりでした!
まだまだ知らない事がいっぱい
新しい発見がいっぱいの首里城
うーん奥が深いです
火災は非常に残念ですが
これで5度目の火事
今までも何度も蘇ってきました
コロナ禍で大きな試練の時
もしかしたら首里城は
世の中の混乱を
人々に警告していたのかも
或いは、大きな災いを
庇って燃えたのかもしれません
この試練から学び
守り抜いてきた伝統と文化を
絶やすことなく継承し
再び首里城が蘇る事を
楽しみに待ちたいと思います
最後までお読み頂きありがとうございました!
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