浦添城のあらましとお城散策は
つまり沖縄戦当時の
浦添城跡のお話。


沖縄戦のあらましを

1944年 

8/22        疎開船対馬丸が、
米軍魚雷により沈められ
児童含め約1500人が死亡

10/10     10・10空襲により5万人以上の家が焼失


1945年 

3/26     米軍、慶良間諸島へ上陸。住民が集団死

4/1      米軍、沖縄本島の読谷、
北谷、嘉手納に上陸

4/9       嘉数高地の戦闘開始

4/25      前田高地の戦闘開始

5/6        米軍、前田高地を占領

5/31      米軍、首里占領

6/23      第32軍牛島満司令官が、糸満の摩文仁にて自決

7/2        米軍、沖縄作戦の終了を宣言

8/6        広島に原子爆弾投下

8/9        長崎に原子爆弾投下

8/15       終戦

9/2         日本軍が米軍に正式に降伏


参考マップ
前田高地の戦跡巡りコース図


「戦跡」から見える浦添での戦争

うらおそい歴史ガイド友の会戦跡マップ


浦添市てだこ市民大学第一8期生
〜沖縄戦最大の激戦地〜
前田高地攻防の記録




現在は浦添大公園の一部となっている前田高地は、浦添城跡の位置にほぼ一致していて、浦添市で最も高い場所となる南東側「ワカリジー」(米軍名ニードルロック)の標高は148mあります。鋭く切り立ったその姿から米軍は、前田高地を「ハクソー・リッジ(のこぎりで切ったような断崖)」と名付けました。








1945年4月1日に読谷、嘉手納、北谷に米軍が上陸して、日本軍司令官のあった首里に向けた進行を開始して以来、宜野湾の嘉数高地などで激戦が繰り広げられましたが、第一線から後退した日本軍部隊などが仲間、前田に集結し、前田高地は沖縄そして日本本土防衛の最前線となっていきます。


4月25日の空襲・艦砲射撃に続いて、26日には米軍が前田高地への地上攻撃を開始、高地頂上の熾烈な争奪戦が繰り広げられます。


両軍共膨大な数の死者を出し、戦闘の激しさのあまり、米軍の中には発狂者も続出したと言われています。



そしてついに頂上付近を占領した米軍は、日本軍の壕(ガマ)の入り口を破壊して日本軍を閉じ込めて追い詰め、5月6日には前田高地を完全に制圧しました。



「ありったけの地獄をひとつにまとめた」と表現されることからも、いかに、凄惨な戦いであったかがうかがい知れます。



公式ホームページより






沖縄戦当時、浦添城跡一帯の丘陵は、アメリカ軍から「ハクソー・リッジ」日本軍から前田高地と呼ばれていました。米軍攻撃正面となる北側は険しい断崖であるうえ、頂上まで登り詰めた米軍に日本軍が猛烈な攻撃を浴びせる戦術をとったため、米軍の退去の際は多数の負傷兵が取り残されました。



信仰上の理由から武器を持たない衛生兵デズモンド・ドスは、日本軍の猛放火の中多くの兵の命を救ったため、のちに名誉勲章を授けられました。

説明文引用








https://youtu.be/Dr2c07UuDw4


https://youtu.be/JzA-oQgCsok



浦添城跡内と、その周辺の戦争遺跡や慰霊の塔を
いくつかご紹介します


前田高地豪郡(北側)




日本軍は前田高地の地形を利用して第62師団独立混成第63旅団が、洞窟・トンネル・トーチカ連鎖陣地を構築したと思われ「内部は壕口が一つ破壊されても問題がないように、壕同士が繋がっていた」と、日本兵の手記があります。
現在残っているが、内部の落盤や土砂の堆積が激しく、中に入ることはできません。


案内板より


広場からみた北側の風景





和光地蔵尊



1952年、戦没者慰霊の為
大阪四天王寺より寄贈されました

中部の激戦地 前田高地と

同じものが沖縄にはあと2箇所あります

海に沈んだ人々の慰霊として
那覇市波上宮護国寺の近く

そして、
南部の激戦地糸満市摩文仁です






故陸軍伍長小林政雄之碑と書かれています



石原正広少佐外戦没慰霊碑とあります





浦和の塔



説明板より

浦和の塔は、沖縄戦で散華した人々を祀る慰霊の塔です。1952年に市民の浄財と本土土建会社の協力によって建立されたもので、納骨堂には浦添城跡を中心に市内各地で散華した軍人や民間人5000人全柱安置されており、市では毎年10月には、慰霊祭を催し英霊を慰めています。
    浦添市役所 



浦和の塔の下に降りていくと、、、




洞窟(ディーグガマがあります)



ディーグガマ

浦添グスク内の御嶽(拝所)の一つ。「琉球国由来記」にある渡嘉敷嶽(とかしきたき)とされ、かつて大きなデイゴの大樹があったことから、ディーグガマと呼ばれるようになったという  

説明板より


沖縄戦後は、戦没者の遺骨を収める納骨堂として使われました。






その側には
浦添王子遺跡




御嶽(拝所)





そして、広場から見渡す
すぐ近くにあるアメリカ軍普天間基地

米軍が上陸した
北谷、嘉手納、読谷方面

ハクソー・リッジの看板が立てられています

映画が公開された後は、頻繁に米軍人達が作戦や戦況を知るためよく来てました。
自衛隊の方々をバスで案内した際も、ここに立ち寄り当時の戦況、日米両軍の動き、戦略を皆さん熱心に学んでいたのを覚えています。








そこから
大きななガジュマルの横を抜け




下に降りていくと



階段があります






降りていくと
前田高地平和之碑







鎮魂

この前田高地は、去る沖縄戦で、日米両軍がその争奪に死闘を繰り広げ、多数の貴い犠牲者を出した最大の激戦地である。


山三四七五部隊(歩兵第三二連隊)大二大隊は、昭和二十年四月二九日この地に進出し全員傷つき斃れたが、なおこれを死守して国軍の真価を遺憾なく発揮した。

関係各方面の絶大なご協力と第二大隊生存者の積年の悲願によりここに碑を建立し地下に眠る戦友の英霊を慰め変わらない友情の確かな証となし、恒久の平和をゆるぎない礎にしたいと念ずるものである。

昭和五四年三月一日
山三四七五部隊第二大隊戦友会





第32連隊第2大隊

前田高地平和之碑

第32連隊第2大隊は志村大尉を大隊長とする部隊で、昭和20年(1945年)4月27日に連隊本部から前田高地を確保するよう命令を受けます。

第2大隊はワカリジー(為朝岩)方面で戦闘を繰り広げますが、夜間攻撃の為に派遣した中隊が全滅するなど大きな被害を受けました。

米軍の攻撃により入り口を破壊された大隊は内部に閉じ込められ、脱出は容易ではありませんでした。
前田高地での激戦から撤退まで第2大隊からは多くの犠牲者が出ました。









南斜面壕群

南側の斜面にも多数の陣地壕が構築されていたとの事ですが、現在確認できるのはごくわずかです。




缶詰壕

前田高地には日本軍用の食糧を保管していた壕が残されています。5月上旬に米軍が前田高地を占領した後も日本軍の将兵はこれらの壕に隠れていました。
缶詰壕は「食料壕」とも呼ばれ、魚肉団子やサバ、パインなどの缶詰のほか乾燥野菜や米、黒糖、酒、味噌に醤油などが豊富にあり、これらが入った箱や袋を入り口に積み上げ弾よけ、爆風よけにしていました。

浦添市観光協会ホームページより







カンパン壕には多数の負傷兵が収容されていましたが、カンパンの入った箱が天井まで届くほど積み上げられておりこの箱の上で寝起きする負傷者もいるほどでした。しかし薬品類は非常に乏しく手当もままならない状況でした。このような薄暗くて狭く息の詰まる壕内で馬乗り攻撃や戦傷に苦しみながら脱出の機会をうかがっていたのです。

浦添市観光協会ホームページより




参考資料:うらおそい歴史ガイド友の会戦跡マップ







グチグヮーガマ

入り口の形が人間の口に似ている事からクチグヮーガマと呼ばれ、沖縄戦の際には仲間6班の住民が避難したといわれています。

仲間6班の壕については、「当初10家族ほどが避難していたが、兵隊がガマに入り砲爆撃も激しくなったため、最後は3家族となった。これらの家族がガマを出るときは周辺に多数の戦死体があった。」との、証言があります。

説明板より。

また、日本兵が泣いている赤ちゃんを「2時間くらい眠らせる薬がある」と親から取り上げ、戻ってきた時には赤ちゃんが冷たくなっていたという住民の証言があるそう。






沖縄戦の際には前田高地
アメリカ軍にハクソー・リッジ
と呼ばれた浦添城跡

前田高地周辺では
日米両軍の兵士の死者も多数出ましたが
また、巻き込まれ
亡くなった住民も多く


当時の浦添では、
住民の44.6%におよぶ
4000人余りが
沖縄戦で亡くなったといわれます。
参考資料:浦添市てだこ市民大学第8期生作成前田高地激戦マップ


参考資料:うらおそい歴史ガイド友の会戦跡マップ



ガイドの研修や
勉強で何度か
賀数仁然さんのバスツアー、
うらおそい歴史ガイドさんと
まわりましたが、
観光バスで来る事は多くありません

城跡としては知っていたけども
激戦地だったとは、
と驚かれたり、
逆にハクソー・リッジの舞台が
実は大きな城跡だったとは、
と驚かれたりする方もいらっしゃいます。

もし足を運ばれるようでしたら、
琉球王国の城跡としての一面、
そして沖縄戦の激戦の舞台としての
前田高地という一面

二つの歴史を見ながら
まわって頂けたらと思いました


最後に、
亡くなられた方々のご冥福を
お祈りいたします




最後までお読み頂きありがとうございました




浦添市のホームページ、非常にわかりやすく
紹介されていますので興味のある方はご参照ください!


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