その止血の手術から1,2週間たってもまだお腹が痛いと言う父。
もう一度検査する医者。
すると先の手術ではうまく止血できれてはいなかったと。
なのでもう一度手術することに。
まじかー。
耐えれるのか?
先の手術は失敗だったてこと??
そして2回目の止血処置手術。
今度こそは止血成功。
でも2回連続の手術は確実に父を弱まらせました。
かろうじて口からものを食べるものの、量が半端なく少ない。
あっというまにガリガリになった父。
見るも無残になんだか一気に年老いたじじぃもじじぃ、90歳くらいに見えるほどになった。(ライン電話で見た)
リハビリも思うようにできず、あっという間に入院してから2か月が過ぎました。
母曰く、すっかりやる気をなくしたらしい父。
こちらからいくら体にいいものを、ガンにいいものを勧めても、フンといった態度で自分の体の回復に全く協力しようとしない父。
自分のことなのに。
…治したくないんか??
…もう生きたくないんか??
何度も何度も父の言動からそう思わされました。
そして、これら一連のことを、あたしが母の側にいて手助けしてやれないもどかしさといったら…
自分を責めまくりましたね。
なんでこんなときにいてやれないんだろうと。
なんであたしが日本にいるときにならなくて、こっち戻ってすぐなんか??
なんの因果や?と。
幸いうちの娘たちがあたしの代わりに母を病院まで連れていってくれたり、何かと手伝ってくれてましたが。それが唯一の救いでした。
それでも父が入院してからというもの、あたしの心はずーっと親不孝をしてるような気分がぬぐえないまま、自責の念にかられたまま、、それは父が亡くなった今も続いてるのです。
入院中の父は、
病院のご飯が嫌な父。
自分が食べたいものだけ食べたい父。
リハビリもしたくない父。
ただただ家が恋しい父。
そのくせ退院したらまだ車の運転しようと思ってる父。
そして12月の始めごろ。
やっと医者の許可もおり、自宅介護の準備も整いました。
タクシーで家へ帰る途中、もうお腹が痛いと言い出した父。
それを不安に感じてラインしてくる母。
涙がでそうになりました。
なんであたしは今この瞬間、アメリカにいるんだろう?
そんなこんなで10日ほど経過。
ずっと座ってるとまたお腹が痛むと言い出す父。
そんな父がいきなり車の運転をしてカーマへ行くと言い出した。
歩けもしないのに、車の運転??
カーマに何の用??
まだまだ自分はできると思いたいのだろうか?
その他にも、ゲオで5か月ほど支払いしてない分があるので支払ってきて欲しいと母に頼み、母はゲオへ行きましたが、そんなものはありませんでした。
頭もどうかしてしまったんだろうか…?
このころからだんだん言うことがおかしくなってきたように思います。
意識はあるのに、まるで別世界の話をしてるように…
それでも以前よりは少しずつ食べれるようになっていったので、このまま食べれれば、歩けるようになれば、また元気になるかもしれないと、淡い期待を抱いてました。
そして年末。
またもやカーマへ行きたいと。
今度はさすがに自分で運転するのはあきらめたのか、次男に車でカーマまで連れていけと。
どんだけカーマ好きねんて。(笑)
なんでも今度ははづきルーペ買いに行きたいと。
今、このときにそれが必要?
いやいや、新聞も本も、もう読んじゃいないのに何故。
だけどベッドから車椅子に移るだけでもすごく時間がかかり、結局諦めました。
そしてやっぱり腰が痛いと。
それでも年越しそばもちょっと食べて年は明けました。
そしてお正月。
なんでも気に食わないことがあると、ご飯も食べず薬も飲まないらしい。
まるで子供。
必死に介護してる母。
ふ~長い。
しかし夜ははかどる。
来週なったらまた確定申告の用意しんと。
続く。