皆様、お待たせいたしますた。

 

待望のブッダちわわ復活。

 

え? 待望してない? ええ、ええ、ええ。

 

 

チワラバ、ちょっとやる気なし男、あ、いや、実は1月15日に日本に緊急帰国してまして、2月8日にこっちに戻ってきますた。

 

そうです今流行りのコロナ感染真っ盛りの中をw

 

まぁその前からちょっとブログ書く気分失せてましたけど、ええ、ええ、ええ。 あは

 

どこから書こう…

 

順を追って書くか…

 

 

 

チワラバ、去年の8月に日本からこっちへ戻ってきました。

 

それからほぼ1か月後のこと。

 

実家の母から連絡がきました。

 

父が肝臓がんで入院したと。

 

うちの父は昔からぎっくり腰やらかしたりなんだりで腰に問題抱えてました。

 

ここ2、3年はとくに酷かったらしく、大量の痛み止めを摂取して胃に穴があき大量出血のため入院して緊急手術も受けました。

 

 

そして9月末。

 

それまで普段通りだったんですが、突然お腹痛いと言って倒れ込み、這うようにしてトイレへ駆け込んだと。

 

それを見ていた母が、これはただ事ではないと感じ、救急車を呼んで病院へ。

 

検査の結果、肝臓にガンができており、そのガンが腫れあがって破裂し、そこから大量に出血しているので、すぐにでも手術しないと命はないと。

 

なんでこんなになるまで気づかなかったのかと、医者もびっくり。

 

聞かされた本人も母もびっくり、青天の霹靂。

 

まさかと思ったそうです。

 

そして、すぐ手術となり入院。

 

このときにチワラバに連絡がきたのです。

 

今にして思えば、ここ2、3年の腰の痛みは恐らく肝臓ガンから来ていたのだと思います。

 

でも家族みんな、そんなことは全く考えてませんでした。てっきりただの腰痛ぐらいにしか…

 

 

 

最近はまわりを見回せば誰かしらガンを患ってるので、今やガンは普通。

 

日本人の2人に1人はガンで亡くなるというくらい普通。

 

医者もなんの躊躇もなく本人たちにガンであることを話したそうです。

 

なのでこの時点では、家族まだ誰もそこまで深刻には、当の本人でさえ深刻には思ってなかったように思います。

 

 

 

そしてその止血の手術の後、医者はガンが小さくなったら切除することを考えましようと。

 

地元の消化器系手術の上手い医者も紹介してくれて、その病院も行ったらしいのですが、父はがんとして手術を拒み、家入って一歩歩いただけで絶命してもいいから、なんとしても家へ帰してくれと懇願しました。

 

これに関してはチワラバも賛成でした。抗がん治療すると余計体弱ってだめになると思ってるので。

 

 

 

そして、家へ帰るにも、ならそうしましょうといってすぐ帰れるわけじゃありません。

 

自宅介護になるので、介護用ベッドのレンタルや、車いすレンタルや市にも介護要の届け出など等、自宅に戻る前にもいろんな段階を踏まなくてはなりません。

 

その手続きが完了するまで、父はまだかまだかと病院のベッドで”お前が帰宅を遅らせて、足引っ張てるのだろう”などと、母を責めていました。

 

そんなわけありません。なんて可哀そうな母。人間、こういうときになると本性でるっていうけど…

父は母に嫌味ばかり浴びせてたそうです。

 

そんな話を母から聞かせられるたび、不思議なもんで、どんなに病気で可哀そうと思っても、そんな人には同情の心なんか湧いてきやしない。チワラバ、何度も心でクソじじぃ(笑)と思ったことか。

 

 

 

ちょっと一旦ここで休憩。

 

このことは心の整理もしながら書きたいので、一気に書けないんです…

 

なのでこの話はゆっくりペースになると思います。