モンテッソーリ関連本ふたたび。
わたくし、モンテの本を読んで子供の見方が変わったのは、事実
そして、慌てて「ギャー、いたずらを止めさせなきゃ 」というのも少なくなり(ゼロではないが)、気持ち的に楽になったのも事実
いたずらをしてたら、「へえ」「ふーん、そういう敏感期なんだ」「そういうことをうまくやってみたいんだ」とちょっと(だけだけど)余裕を持って観察するようになった。
そういう行動を見て参考にして 「じゃあ、どうやってこれを鍛えてあげようかな、安全にさせてあげようかな、お仕事になるかな・・・」と、ヒントを得て考え始めている自分がいる。自分、成長したなぁー
マリア・モンテッソーリさんに感謝。
もちろん公共の場ではちょっと緊張することもあり、やらせ放題はいけないので止めたりもするけど。
時間や場所が許されるならできる限り、付き合ってあげているつもり。
今日の本はこれ。
- お母さんの工夫―モンテッソーリ教育を手がかりとして/相良 敦子
- ¥1,575
- Amazon.co.jp
これによると・・・・(色字は本からの引用)
「お母さんのイライラ」の特効薬のような知識、
幼い子供とともに生きる者にとって知っているのと、知らないのでは、大違いという知識がある。
私自身が変われたように、子供の不可解な行動やイラつきの原因、背景、メカニズムを知るってことだね。
子どもの見方を変える →怒る代わりにニンマリ笑う
相手に変われと要求する代わりに自分が変わる
ヒステリックに手出し口出ししてやってしまう代わりに、ゆっくり教えてじっくり待つ →助け方を身につける
モンテッソーリの時代(20世紀前半)は脳科学はおおまかなことしかわかっていなかったらしい。
彼女自身は医者(イタリア初の女性医学博士)なので科学的な見方はしていたのだろう。
でも最近になり、いろいろと研究結果が出てきて細かいことがわかり始めると・・・
モンテッソーリのやっていたことや教具・方法は、実は脳科学的にもしっかり証明できるものだったとわかったそう
(ひとつ前のこちらの記事でも、久保田競さんについての記述があったのを書きました)
「モンテッソーリ教育が前頭葉を育てる」
脳科学者・澤口俊之氏によると、
「8歳までが勝負。人間らしく育てる、幸せになるように育てることが幼児教育の根幹。
人間らしさ = 前頭連合野を育てること。
前頭連合野を使う = 自分の行動をコントロールし、周りの人に気を配り、集中して考え、未来を見通し、好奇心を発揮すること。」
幼児期にモンテッソーリ教育を受けた小学生以降の子供に共通の特徴
1)順序立てて物事を考えることができる
2)何をするにも、計画を立て、順序を踏んで着実に実行する
3)段取りが良い
4)先を見通すことができる
5)一から出発する
6)省略しない(ただし、急ぐときに、どこを省略すればよいかポイントが分かる)
7)状況の読み取りが早く、機転がきく
8)わずかな差に気づき、道徳性が高い
9)一人でもたじろがない
10)礼儀正しい。本質に対して忠実。
上記の澤口氏の前頭葉の話とぴったり一致
前頭葉を鍛えれば、こういう結果が出るんだと。
モンテッソーリはここまでは知らずして、前頭葉を鍛えることをさせていたのね。
逆に考えてみると・・・
事故や病気で前頭葉を損傷するか除去した人の性格が変わる = 前頭葉が機能しなくなる
一人で判断できない
怒りのコントロールができない
これをしようと自分で決意できない
プランを立てることがむずかしい
順を追って考えることができない
自分が次に行動することがイメージできない
意欲が無い
すぐ忘れる
無計画、先見性が無い
責任感が無い
節度に欠ける行動をする
行動が単純な紋切型で、惰性的
思考内容が秩序立っておらず、断片的な推量しかできず、衝動的。
周囲に対して適応性が無い
人格が平板化してくる
そして健常者でもこういう傾向がある人たちというのは、前頭葉を鍛えてこなかった人たちと言っていいわけよね。
モンテッソーリのお仕事の積み重ねがこういうことにつながっているとは、驚き。
もう一つ、気になっていた点。
幼児期にモンテッソーリ教育を受け、普通の一斉教育の学校へ行った場合、どうなるのか
適応は難しくないのかという疑問。
ここにも書いてありました。
「モンテッソーリ教育を受けたその後」
モンテッソーリが日本へ入ってきた当初。
批判や疑問(1960-70)があった。
・個人で作業するので社会性が育たないのでは?
・指先は器用になるかもしれないが、運動面が育たないのでは?
・女の子には良いが、男の子には向かないのでは?
・幼児期だけの教育だと、小学校入学段階で適応できず挫折するのでは?
40年後、結果を見てみると・・・・・・・卒業生は、正反対。
・さまざまなタイプの友達をたくさんもっている。人気者。人望がある。
・スポーツ大会で上位入賞。身のこなしがしなやか、運動が得意。
・男女を問わず、生徒会会員や司会役を積極的に引き受ける。
・小学校の中学年頃から自分のペースを発揮し、自立した行動をとる。
人格面、生活面、人間関係、仕事にかかわる態度、学習面で望ましい。
(1974年開校した梶山モンテッソーリスクールの卒業生のデータ。←ネット上でも公開していますが、本の中では3ページにわたるリストあり。必見)
学習面:たとえば、授業中に集中して聞くので、その時間内に理解する。数学的センスがある、言語能力が豊かだ、スポーツでめざましい記録を出す、習い事をするときに正確に早く習得する。
モンテ卒の人達の特徴をネット上などでも読んでいたが、(上記の本の中の長いリストを読むとさらに思うには)やはりこういう人格に育ってくれたら素晴らしいと思う。
成績がいつもトップ!とか天才!とちやほや言われるわけではないだろうけど(そういう子もいるでしょうが)・・・、それよりも、人間らしく、人生を充実させていくには、こういう点の方がずっと重要だし、子どもの時しか養えないものなんだろうな。
確かに一人でお仕事をつき進めていくので、マイペースにはなるのはわかる。
(悪く言えば)自分を曲げない、というのは日本社会では結構きついことも多い。
しかし世界的に大きく見れば、自分をしっかり持っていること、打ち込める何かがあること、オリジナリティーを発揮していくことはとても大切な財産になる。
本当の意味での「自立」「自律」ができている人間ということになる。
時々聞くような「興味のあることが見つけられない」「自分が何がしたいのかわからない」「無気力」「将来に夢や望みが無い」という若者は(大人も)とても悲しい。
ちょっとそれた。
後は大体どのモンテ紹介本にも書いてあること。復習しました。
「入力は五感、出力は運動」
(運動とはスポーツのことではなくて、随意筋肉運動のこと。あらゆる種類の動き)
環境から、見る、聴く、触れる、嗅ぐ、味わう刺激によって入る。微妙な差異までも区別できるのが幼児期。
「こうしたい」と思ったことが思い通りに動かせるようになる=随意筋肉が調整される時期
「動きが教育の鍵」「子供は動きながら学ぶ」
・大きく体を動かす(全力を出し切って動く。出し惜しみをしないのは幼児期だけ。これ以降省エネ時代に入っていく)
・バランスをとる(**細長い線やブロックを見つけると、その上を歩く。重いものをわざわざ持ちたがる。平衡感覚を培う)
・手腕を使う
・指先を使う
知性のはじまり(お母さんの顔を他の人と区別する、からスタート)
「同じ」「ちがう」→区別すること
→「分ける」「集める」「比べる」「合わせる」へ
「人格」ごと成長していく
子どもが自分で選んで集中して活動し、自分からやめた後に、良い子に変わる。晴々した顔になり、安定し、やさしくなり、素直になる。
また魅力的なのは、モンテッソーリ教育における算数、言語、文化教育の具体例(教案みたいなもの)がくわしく載っている。
Putihにはまだ早いけど、マネして自分でホームスクールもできそう
こういうのを読むと、自分が子どもの時こういう授業を受けたかったな・・・そしたらもうちょっと違ったかしらとか思う。
特に算数の教具など、よくできているな~と感動。
そしてお役立ちは巻末の表
日常生活の練習・感覚教育の年齢別、発達と援助の仕方について。
モンテッソーリ曰く
「子どもは生まれたその日から戦いに引き入れられる。大人と子供との戦い。人類にとって宿命的な強きものとの間の戦いに引き込まれる。・・・・・子どもは自分の力を用いて発達することを望みつつも、強者である大人の抑圧のもとで自分の生命力を屈折させ、潜在意識の中に自分自身を隠すという残酷な骨折りをしている」
ちなみに、この1週間以内で急に始めたこれ。あまりにもタイムリーでにんまり笑っちゃった。
**道で線が引いてあるのや、細長いものを見ると、必ずまっすぐそれに沿って歩くPutih。
電車キチガイなので、自分が電車で線を線路に見立てて「ぽっぽー、ぐたんがとん」と音を立てて走ってる。
何度も、何度も行ったり戻ったりしながら延々とやります。後ろ向きにも歩きます。
結局なかなか前に進まないことも多々あり、目的地へたどり着くのに時間がすごくかかる。
けど、楽しそう
自分も子供の時、そういえばそうだったな・・・と思い出したわー。
今がバランス感覚を養う敏感期なんだねェ
この本の著者、田中昌子さんの主宰する研究所のサイト
エンジェルズハウス研究所(てんしのおうち)
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