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98年式のヘッズ
塩澤“Lil ass”あすかの生きた記録

ゴンスケ
 
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なぜ民族が「同じ価値観を共有」するかといえば、それはその民族が民族としての歴史を持つからです。
つまり、民族が共有する価値観は、その民族の歴史によって育まれたものである、ということです。
 
たとえばある国では、子供達に次のような寓話を教えています。
我が家で子供が生まれた。
人数が増えた分、生活が苦しくなった。
そこで隣の家の牛を奪ってきて飼うことにした。
けれどそのとき、その隣の家の子供がかわいそうだったので、殺さずに生かしておいた。
そのため、その子が成長したとき、一家は皆殺しにあった。
 
この民話は、生きるためには、奪うこと、殺すことは正義と教えています。
そして奪うときは皆殺しにせよと、教えています。
モンゴルは、それだけ厳しい環境にあった民族であり、その厳しい環境の中で生き残る術をそうした民話に託し、その結果その民族は、世界を征服するという壮大な事業にかつて成功した歴史を持ちます。
 
アラジンは48人の盗賊から財宝を奪い、贅沢な暮らしと絶世の美女を手に入れました。
アラジンは民族的ヒーローです。
けれどアラジンは盗賊です。
奪わなければ生きて行けない、そういう歴史を持った民族であったわけです。
 
ハリウッド映画では、失われた財宝をめぐって、ヒーローが大活躍し、最期にその財宝を奪います。
それは他国の遺産であり、他国の財産です。
他国の財産を奪うことは、彼らにとって英雄的行動です。
米国はそういう歴史を経て形成された国です。
 
お隣の韓国北朝鮮では、朝鮮民族建国の伝説として檀君神話(たんくんしんわ)とよばれるものがあります。
万物の支配者の子である桓雄(ファンウン)が支那と満州との国境にある白頭山に降り立ちます。
そこには虎と熊の夫婦が住んでいた。
そこで桓雄(ファンウン)は、夫の虎を追い払い、妻である熊を祭壇の上で強姦します。
合意の上での性交ではありません。強姦です。
その結果産まれたのが檀君で、祭壇の上で授かった子だから檀君と呼ばれます。
建国の始祖が、強姦によって産まれた子なのです。
ですから半島人にとって、過去何百年もの間、女性に人権はありません。
日本が支配するまで、国王の妻でさえ、名前を与えられなかったのです。
 
韓流ドラマでは、宮廷女官で女医のチャングチムが活躍したドラマがヒットしたそうですが、当時の朝鮮では、宮廷の女官というのは、全員が国王の妻と仮定されています。
現代韓国風にいえば、宮廷女官とは、強制連行された王宮付き慰安婦です。
女医という言葉は、日本では優秀な女性医師を意味しますが、李氏朝鮮の時代のの女医は、いまの日本でいえば宮廷付きソープ嬢を意味します。
 
いまでも半島では強姦が、まるで日常の出来事となっていますが、まさにそれが彼の国の歴史と伝統に基づく韓流文化です。
これはもう、そういう国柄、そういう民族的価値観としか言いようがないことです。
我々日本人とは違うのです。
 
では日本はどうかというと、日本神話に登場する最初の男神、女神はイザナキ、イザナミです。
二人は天地をつなぐ天の御柱の前で出会い、男性の方から「我、成り成りて」と声をかける。
「成り成りて」というのは、心も体も知性も完全に成長したという意味です。
従って、子のうちはしっかりと学問や体育に励み、完全に成長してはじめて男女が結合して子を産み育てるとしています。
男性も、女性も、互いに完全に成長してからと言っているのです。
ですから、男性も女性も、性差による役割分担こそあれ、人としては完全に同等です。
だからこそ、古来日本では、男女ともに名を持ち、結婚すれば女性は「かみさん」で神です。
 
そして男は男らしく、弱きを扶け、強きをくじき、世のため人のために生きよと教えられました。
女性は、やさしく愛らしく、立派に内助の功に励めと教えられた。
 
騙す者と騙される者がいれば、騙す方が悪いというのも、日本人の価値観です。
日本人は、争いよりも和を求めます。
ですから常に「話せばわかる」と考えます。
施政者も民衆も、根本には仁政を求めます。
 
日本人は、約束したら、ペナルティの有無にかかわらず、守らなければならないと考えます。
時間を正確に守ります。
喧嘩して上下関係をはっきりさせることより、たがいに仲良くわかりあうことを大切にします。
何も言われなくても、相手に尽くそうとサービスに勤めます。
駅のホームでは、電車が停まるまできちんとホームで並んで待ちます。
人にやさしくすれば、きっといいことがあると信じています。
真面目にコツコツと仕事をすることが、幸せなことだと思います。
国債を買ったら、ちゃんと国は利息を払ってくれると信じています。
 
それらはみんな、世界の60億分の1億の民にだけ通用する日本の常識であり、日本人の日本人的価値観です。
私たちは、それらをまるで空気のように「あたりまえのこと、普通のこと」して生活しています。
なぜならそれが、日本という国が長い歴史の中で育んだ、日本の民族的価値観だからです。

 

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すごーーーーーっびっくり

ぜんこう氏ブログから眼鏡勉三

情報源にどうそ照れ

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ハワイといえば、太平洋の楽園として知られています。
今日はそのハワイのことを少し書いてみようと思います。
 
18世紀末、ハワイを発見したのは、有名なキャプテン・クックです。
そのクックを先頭に、ハワイに来島した白人たちが持ち込んだのが、
 
貿易商、キリスト教宣教師
麻疹、結核、コレラ、ハンセン病、梅毒・・・
 
欧米から来た白人達は、土地所有の概念のなかったハワイで、ただ同然で土地を買い占め、国土の75%以上を所有。
抵抗力のない先住ハワイ人は、クックが来島した頃30万人だった人口が、1872年には5万7千人にまでに落ち込んでしまいました。
 
ハワイ諸島を統一したのは、カメハメハ大王です。
彼は、欧米人種と対抗するために、明治維新のときの日本と同じように、一方で彼らから武器・弾薬を買い、一方で種々の部族がひしめくハワイ諸島を統一しました。武器購入資金は、サトウキビ等の輸出など、国内産業の発展によって賄いました。
しかし輸出相場の変動、疫病の蔓延などにより、国力は徐々に低下していったのです。 
 
そのカメハメハ大王の孫にあたるカラカウワ大王は、1881年に日本に来日しています。
当時の日本は、有色人種で唯一の独立国。有色人種の希望の星だったのです。
 
そして大王は、アメリカ人の随行員らを出し抜き、日本人通訳のみを連れて、密かに赤坂離宮を訪れ、明治天皇との会見を乞います。
天皇側は夜中の訪問を不審に思ったが、とりあえず会見。
 
そして大王は、ハワイ王国の内憂外患の窮状を述べ、5つの協力を仰ぎます。
 
第一 日本人移民の実現(ハワイ人の人口減少を同一種族である日本人の植民で補う)
第二 やがて王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族・山階宮定麿親王との婚約。
第三 日本・ハワイの合邦(連邦)
第四 日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設。
第五 日本主導による「アジア連邦」の実現。
 
しかし、明治維新後わずか14年の日本には米国と対抗する力はありません。
 
翌年、 明治天皇はカラカウア王に特使を派遣して、婚姻の議などは謝絶します。
しかし、移民については実現し、1884年、日本・ハワイ移民協約が締結しました。
1885年、ホノルルに到着した第一陣の日本移民のために催された歓迎会には、大王自身も列席され、日本酒が振る舞われ、ハワイ音楽やフラダンス、相撲大会が催されたといいます。
 
1891年1月 病死したカラカウア王の後を継いで、後継者として指名されていたのが、大王の実妹リ リウオカラニ女王です。
 
1893年1月15日、女王はハワイアンに選挙権を与え、市民権を持っていない白人からは選挙権を剥奪するよう、憲法を変えようとしました。宮殿前には、女王を支持するハワイ国民が集まります。
 
これに対し米国公使 スティーブンスは、翌16日、「米国人市民の生命と財産を守るために」と、ホノルル港に停泊中の米軍艦ボストンから、海兵隊員160余名を上陸させ、政府庁舎や宮殿近くを制圧。
軍艦ボストンの主砲は、イオラニ宮殿に照準を合わせました。
 
「無駄な血を流させたくない・・・」と言う女王が、退位を決意。
これにより、ハワイ王国は滅亡します。
 
しかし、当時のハワイには、日本人25000人が入植している。
そこで、急きょ、日本から巡洋艦「浪速」と「金剛」が警備のためにハワイに向けて出港します。
 
翌2月23日、到着した「浪速」は、米軍艦ボストンの隣に投錨。
 
艦長は、若き日の東郷平八郎です。
 
軍艦ボストンからみたら、これは実に気持ちが悪い。
「浪速」の乗組員は、いっさい、米政府筋の者たちと会おうとせず、黙々と隣に投錨している。艦首主砲が、ボストンを向いた途端、ボストンの沈没は免れない。
 
日本の2艦が米人たちに無言の圧力を与えることで、ハワイ市民の混乱や、市民に対する白人の略奪を阻止した。このときの東郷平八郎艦長らの行動は、まさに、戦わずして勝つ!これが究極の武士道だと、感動しているのです。
 
ここで登場したカラカウア大王は、キリスト教宣教師によって禁止されていたフラダンスを復活させた、フラの父です。
そして、東郷平八郎氏と親交があったといわれるハワイ王国最後の女王リリウオカラニが作詞作曲したのが、有名な名曲アロハ・オエです。
 
Aloha 'Oe アロハ・オエ(あなたに愛を)
 
Ha'aheo ka ua i na pali
Ke nihi a'ela i ka nahele
E hahai ana paha i ka liko
Pua 'ahihi lehua o uka
 
Aloha 'oe, aloha 'oe
E ke onaona noho i ka lipo
A fond embrace a ho'i a'e au
Until we meet again
 
山たちこめる雲 霧化し森の間間
さがす谷咲く花 潤むいのちつぼみ
ふるさと ふるさと
うるわしのああ まほろば 
もう一度 抱きしめて
さようならふるさと
 
アロハオエの美しい旋律の陰には、侵略者に踏みにじられ祖国を失う悲しみが隠されているんですね。
 
この「アロハオエ」は祖国を失うということがどんなに悲惨かということを訴えている。
 
日本も、もしかしたら敗戦によってアメリカかソ連の領土に併合されて日本国はこの地上から消滅していたかもしれないのです。 
 
いま私たちが日本語で話ができることにさえ感謝しなくてはいけない。
 
 
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世界中の経営者から尊敬される丸太諭吉ラブ社長のおすすめキョロキョロ
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米英仏蘭は、日本と戦争すべきではありませんでした。
その証拠に、米英仏蘭は日本を相手に戦うことによって、彼らの富の源泉である世界の植民地を失い、さらには企図していたChina大陸の権益さえも、すべて失ったではありませんか。
 
戦争の勝敗は、ドンパチの勝敗ではありません。
戦争目的を達成することができたかどうかこそが、戦争の勝敗です。
なぜなら戦争は、その国の政治目的を達成するための最終最後の手段だからです。
その意味では、米英仏蘭は、戦争に負けたとさえいうことができるのです。
 
ですが、ここからが大事なことですが、逆に「もし日本が勝っていたら」と考えるのです。
戦争は始まりました。
その戦争において、日本が戦況有利となった時点で、早期講和を図り、米英仏蘭が、それに呼応して戦争を終わらせていたら、その後の世界はどのようになっていたのだろうかと、考えてみるのです。
 
米英仏蘭の講和の条件は、東アジアからの日本軍の撤退です。
台湾、満州、朝鮮半島は、そのまま日本に維持されたかもわかりません。
ですが、ベトナム、ミャンマー、マレーシア、ラオス、カンボジア、タイ、シンガポール、インドネシア、インド、フィリピン等における米英仏蘭の植民地支配は、戦前の状態に原状復帰する、100%間違いなく、これが講和のための最低条件となったであろうことは、想像に難くありません。
 
つまり、21世紀となった現代においても、香港は英国領であったであろうし、ベトナム、ラオス、カンボジアは、いまでも「フランス領インドシナ」であったであろうし、ミャンマー、タイ、インド、マレーシア、シンガポール等は英国領、インドネシアは「オランダ領インド」等のままであったことでしょう。
さらに、アフリカの諸国も、いまだに植民地であり、世界は、英米仏蘭ソなどの、ほんの一部の国家が、世界を牛耳り、民族の独立や自立、有色人種への差別と虐待は、おそらく今なお続いていたのではないでしょうか。
 
先に開催されたロンドン・オリンピックの参加国は204カ国でした。
けれど、戦争の直前に行われた1938年のベルリン五輪の参加国は、49カ国です。
世界の民族が49しかなかったのではありません。
それ以外の諸民族は、欧米の一部の国による被支配国となっていたのです。
 
このことは、言い換えれば、日本がギリギリまで戦い続けたことが、結果として世界から植民地を一掃することになった、ということを表しています。

 

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