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塩澤あすかのGiant Foot Step

98年式のヘッズ
塩澤“Lil ass”あすかの生きた記録

丸太諭吉殿が、
愛、子育て、結婚に関して、この考え方は一理有るとのことです口笛
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「桃太郎」の物語は、桃から生まれた桃太郎が、長じて鬼を退治するという民話ですが、ではなぜ、桃太郎は、「桃の太郎」なのかというと、実はこれには、ちゃんと理由があります。
 
日本神話は天地創造から始まりますが、その最初に男女神として登場するのが、イザナギとイザナミです。
 
イザナギとイザナミは、天の御柱で会話します。
 
まず、イザナギから声をかけると、イザナミは、
 
「我、成りなりて、成り合わぬ(足らざる)ところあり」という。
 
すると、イザナギが、
 
「我、成りなりて、成り余るところあり」という。
 
で、ふたりは、イザナギの体の余っているところを、イザナミの合わないところに刺し入れます。
 
いや、エッチなお話をしようというのではありません。
このくだり、実に重要なメッセージが込められているのです。
 
女性であるイザナミも、男性であるイザナギも、
「成りなりて」、「成りあわぬ」「成り余る」と述べている。
 
これは、矛盾する言葉です。
 
「成り成りて」というのは、成り(=完璧に)成りて(=成長して)といっているのです。
 
ふたりは、互いに完璧に心も体も成長をした。
 
完璧に成長したら、片や「余っているところ」があり、片や「たらないところがある」と言っているのです。
 
完璧に成長したのなら、完全であるはずです。
けれど、完璧に成長したら、余っっているところ、足りないところがあるという。
それを互いに補い合うことが結婚であり、子を産むことにつながると述べられている。
 
つまり、男女が結ばれるためには、まず「成りなりて」なければならないといっているのです。
 
日本は、神代の昔から、しっかりと勉強し、肉体も心も鍛え、心も体も完全に成長したところで、男女は結ばれなければならないということが常識の国なのです。
 
ですから、まだ発展途上、勉強中のスネかじりの身で、エッチするなど言語道断。
親のスネをかじっている間は、しっかりと勉強し、運動し、心と体を鍛える、というのが日本なのです。
 
昨今、子宮頸がんワクチンがどうのと騒がれているけれど、子宮頸がんというのは、未成熟な児童のうちに生態圏を持つことで罹患すると、更年期前に発病する病気です。
 
あるいは昨今、エイズ感染抑止がどうのと、子供に性教育など施す傾向があるようです。
 
しかし、性教育などをするよりも「前」に、私たち日本人は、しっかりとした倫理観、価値観・・・この場合でいえば、男女とも「成りなりて」結ばれるものだ、という価値観・・・を、子供たちにしっかりと教育するべきだし、大人たちも、そうした倫理観を大切にする社会を築いていかなければならないと思う。
 
こうして二人は結ばれ、子を産み育てるのですが、ある日、イザナミは、火の神を産み、大火傷を負って死んでしまいます。
 
夫のイザナギは、嘆き悲しみ、火神の首をはねてしまう。
 
このとき、首をはねた剣に血が付きます。
その付いた血から、剣の神様がお生まれになる。
 
そして剣の神様は、国土平定の特使に任命されます。
 
これも、大切な逸話です。
国家は、血(血族)と剣(武力)によって守られるということを顕している。
 
 
さて、夫のイザナキは、愛する妻を忘れることができません。
 
逢いたくて逢いたくてたまらない。
そこで、亡くなった妻のイザナミに会うために、黄泉の国(死者の国)に行きます。
 
ところがイザナミは、私はもう黄泉の国の食事をしてしまっているのでいまさら帰ることができないという。
 
でも、どうしても帰ってきてもらいたい、とせがむイザナギに、イザナミは答えます。
 
「あなたがそこまでおっしゃるなら、黄泉の国の神に相談してみましょう。けれど、その間、私の姿を決して、見てはなりませぬぞ」
 
見てはいけないといわれると、ついつい見たくなるのが人の心というものです。
まして愛する妻です。
ひとめだけでも、はやく見たい、みたい。。。
 
で、イザナギは、こっそりと、妻の姿を覗き見てしまう。
そこにあったのは・・・・
 
なんと、妻の腐乱死体です。
しかも頭には大雷、胸には火の雷、腹には黒い雷、陰部には裂く雷、左手には若い雷、右手には土の雷、左足には鳴る雷、右足には伏す雷と、なんと合わせて八種の魔物が住みついている。
 
その恐ろしい姿を見たイザナギは、すっかり怖くなってしまいます。
で、そこから逃げ出した。
 
物音で夫に、その姿を見られたことに気付いたイザナミは、「吾に恥じ見せつ(よくも私に恥をかかせましたね!)」と、激怒する。
 
そして黄泉の国の魔物たちに、イザナギ追討を命じます。
 
追う魔物たち、逃げるイザナギ。
 
いくつかの魔物を倒して、なお逃げていくイザナギに、イザナミはついに、自らの腐乱死体に生まれた八種類の魔物を長にした魔軍を編成させ、いっきにイザナギを倒しにかかります。
 
あと一歩で、魔軍に追いつかれるというところで、この世とあの世の境にある比良坂(ひらさか)に着いたイザナギは、すぐうしろに迫ってきた魔軍に向けて、坂の麓(ふもと)に生えていた桃の実を3つ、ポンポンと投げつけた。
 
すると「桃」の霊力に阻まれた魔軍は、全員、退却して行きます。
 
イザナギは、魔軍を追い払った桃の実に、
「私を助けたように、葦原の中つ国(日本)にいる、美しい青人草(国民)が、患惚とき(たしなまんとき=苦悩しているとき)ときに助けてくださいね」と述べ、桃の実に、オオカムズミのミコトという名をつけた・・・
 
というのが、イザナギとイザナミの黄泉の国までの物語です。
 
で、要するに、鬼がこの国に住みついて人々を困らせるとき、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする、というわけです。
 
 
ちなみに、あの世と、この世を分ける境にある比良坂の麓のところまで、イザナミは追ってきます。
イザナギは、その比良坂の大穴を、千人がかりで引くほどの大きな岩でふさいた。
 
その岩を間に、ふたりは互いに向かい合い、別れの言葉をかわします。
 
ミ:「愛しき我がなせの命、かししたまはば、汝の国の人草、一日に千頭をくびりこそさん」
 
ギ:「愛しき我がなに妹の命、汝しかしたまわば、吾は一日に千五百の産屋を建てん」
 
(口語訳)
ミ:「愛する私の夫のイザナギよ、あなたがこんな仕打ちをするなら、私はあなたの国の人間を、一日に千人殺してやりましょう」
 
ギ:「愛する私の妻のイザナミよ、おまえがそうするなら、私は一日に千五百の産屋(赤ちゃんの部屋)を建ててやろう」
 
 
逃げた夫、追った妻、ふたりはお別れに際して、互いに「わが愛する夫よ(妻よ)」と互いを呼び合っているのです。
 
どんな苦悩が二人を裂いたとしても、ひとたび結ばれたふたりは、永遠の愛を誓う。
 
そして子を産み育てた妻は、同時に老人や病人などの死者の面倒をもみると誓い、
 
男性である夫は、産屋を建てる。つまり、労働し、家を建て、人々が安心して生活できるようにし、亡くなる人たち以上に、国を栄えさせるために働くと誓い合ったのです。
 
そして、イザナギが、黄泉の国を見た穢れ(けがれ)を清めるために、左目を洗ったときに生まれたのが、アマテラス。
 
右目を清めるときに生まれたのが、ツクヨミ。
鼻を洗ったときにうまれたのが、スサノオです。
 
日本神話の物語は、このあと、アマテラスの天の岩戸伝説、スサノオの八岐大蛇退治の伝説、大国主、ヤマトタケルの物語へと続きます。
 
 
私たちは、子供の頃、日本神話といえば、グリム童話やアンデルセン童話と同系列の挿話として親しんでいます。
 
けれど、子供向けの童話と異なり、日本神話はひとつひとつの物語に、実に様々なメッセージが込められている。
 
とりわけ、日本神話に登場する神々は、そのひとりひとりが、全員、最初に登場したときには、いろいろな失敗をする不完全な神として描かれています。
 
その不完全な神々が、さまざまな経験を経由して、完璧な神へと成長していく。
日本神話の物語は、神々の成長の物語でもあります。
 
人は、生まれてこの方、大なり小なり、さまざまな失敗をし、かつまたいろいろな人に迷惑をかけて生きています。
 
そうした失敗を経由し、また、重たい荷物を背負って、それでもしっかりと生き、成長していく。
それを教えてくれるのが、日本神話の物語です。
 
 
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なぜ日本がパラオを統治するようになったのでしょうか。
それには理由があります。
 
日清、日露を戦い、西欧諸国に匹敵する強国となった日本は、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、新たに設置される国際連盟の憲章に、「人種の平等」を入れるように提案しました。
 
しかしこれは、英米の頑強な抵抗にあって頓挫してしまいます。
代わりに日本に与えられたのが、ドイツが所有していたパラオを含むミクロネシア一帯の統治だったのです。
 
これは日本に資源のないミクロネシアを与えれば、さしもの日本も西欧諸国と同じように、植民地支配者として収奪をはじめるであろう、よしんばそこまでしなかったとしても、日本の支配地域を太平洋に大きく張り出させることによって、日本の海軍力を削ぐ効果を生むことができるであろうという見通しのもとに行われたといわれています。
 
ところが、こうした西欧諸国の企図とは裏腹に、なんと日本はパラオ統治を受けると、すぐにパラオに南洋庁を設置し、学校や病院、道路などの建設をはじめ、地元民の教育と、行政制度の確立、街のインフラの整備と産業振興をはじめたのです。
 
それまでの世界の委任統治というものは、収奪するだけのものです。
ところが日本は「奪う統治」ではなく「与える統治」をはじめたのです。
 
その結果がどうなったかというと、日本が委任統治を開始してからパラオ先住民の人口は増え続け、昭和十八(一九四三)年には約三倍の六千四百七十四人になっています。
二十四年で三倍です。
いかに日本の統治が手厚かったか、これだけでも分かろうというものです。
 
当時、パラオに新しくできた学校には、若き日の中島敦も赴任しました。
中島敦といえば、『山月記』や、『李陵』『弟子』『名人伝』で有名な作家です。
彼の文章は、漢語体のいわゆる名文調で、この世でもっとも美しい文章を書く人と絶賛を浴びています。
そういう優秀な人材が、パラオの人々のための教科書編纂係として現地に赴任したりしていたのです。
 
日本はパラオで、日本語の教科書を使い、日本語の教育を行いました。
これには理由があります。
パラオには文字がなかったのです。
さらに近代教育に必要な──たとえば数学や地理、歴史等の教育を行うにあたって必要な単語も、パラオにはありませんでした。
ですから、そうした単語を豊富に持つ日本語で教育を行うしかなかったのです。
 
そして、パラオの子供たちは、実によく勉強しました。
当時の日本領全域(日本本土を含む)で行われた全日本共通テストで、なんとパラオの学校は総合二位、算数では一位を取りました。
これは、日本がパラオで、優秀な教育を施していた証拠であるとともに、パラオの子供たちが、いかに教育を受けることを歓迎していたかが分かる逸話です。
 
ところで、学校、病院、道路などは、いったいどのようにして造ったのでしょうか。
そういう都市インフラとは無縁だった現地の人たちに、いきなり「街を作れ、道路を作れ、橋を架けろ」と言っても、できる相談ではありません。
 
私たち普通の日本人が、いきなり「東京タワーをつくれ」と言われても、できないのと同じです(建設業関係のお仕事の人は別ですよ)。
では、日本はどうやってパラオのインフラを整備したのでしょう。
 
日本は、日本の歳費を割いて、パラオに土木建築業者や教師、行政官吏を派遣したのです。
「やってみて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」をそのまま行動に移したのです。
まず日本人が、やってみせてお手本を示します。
そして、現地の人にも、少しずつやってみてもらい、そのうえで成果が上がったら、ともに喜びをわかちあうのです。
 
日本はパラオにあらゆるインフラを整備しましたが、それはことごとく、日本の国費で賄いました。
そして戦後は、前々からの宣言のとおり、すべてのインフラをパラオの先住民たちに無償で譲り渡しています。
 
けれど日本人がパラオに残した一番のもの──。
それは、学校や病院などのインフラよりも、もっともっと貴重で尊いもの──
「ほんとうの勇気」
「ほんとうのやさしさ」だったのです。

 

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