先日の喧嘩の後、私はカウンセリングを予約しました。
まだ予約まで日にちがありますが、夫にはその事を伝えました。
言葉では余計な事を言ってしまうかもしれないので、LINEで私が悪かった事を謝罪して「カウンセリングにも行くから私が良くなったらまた一緒に過ごして欲しい」と送りました。
夫が仕事から帰ってくると、いつも通りの夫に戻り、謝罪を受け入れてくれた事を伝えてくれました。
夕食を一緒に摂りながら、夫はこう言いました。
「何事も自分の選択で自分の責任。誰かや何かの責任にしたらあかんと俺は思う」
これまで何度も言われてきた言葉です。
その通りだと思います。
嫌なことも嫌だと言えないのは、状況がどうであれ、自分で「言えないから言わない」という選択をしていることになります。
けれど、本当に私の意思で選んできたことばかりなのか?
という思いが私にはあります。
選びたくなくてもそれしか道がないということにも責任を持たなくてはならないというのは、私には重すぎることです。
それを教えて欲しくてカウンセリングを受けたいと思ってきたのです。
私の生まれ持っての性格や、育ってきた環境、経験してきたものから形成された「嫌」と言えない性分はそんな簡単には変えられないからです。
最初からそれが出来る人もいれば、出来るように努力して出来るようになった人もいると思います。
私はいずれでもなく、それが出来ない。
特性とまでいかなくても、私の苦手なことの一つです。
そのことを夫には理解してもらえない。
そこを直せば良くなるのにと、言われてきました。
だからモヤモヤします。
『出来ないことがある』事を夫は人よりも知っているはずなのに、私には直せる事だと簡単に言われてしまうことに。
小、中学といじめにあって、人の顔色を窺う人間になってしまった私。
自分が悪いのかと自己肯定感が持てなくなり、人と比べて自分を下に見てしまう私。
そんな私が夫と結婚して、暴力こそなかったものの、思い通りにならない時は口をきいてくれず、喧嘩をした時に物を殴ったり蹴ったりする夫に恐怖を感じ、何も言えなくなる。
そんな背景があっても尚、嫌なことは嫌と言うことのハードルの高さは私には壁のように高いのです。
現在の夫は穏やかになりました。
思い通りにならない時は機嫌が悪くなりますが、以前ほどではなくなりました。
謝るようにもなってくれました。
夫なりに努力して改善できるところは改善してくれたことは感じています。
直す気になれば直せることもある。
私も出来ないからとその場に留まっていても何も変わらないと思いました。
過去ではなく現在の夫と生きていくために私も現在に生きなくてはならない。
トラウマを克服して自己肯定感を上げることが必要なのかもしれない。
私はそこに自力での限界を感じ、専門家に頼る事を選びました。
カウンセラーさんとの相性もあると思います。
合わなければ余計に悪くなるかもしれない不安はあります。
けれど、やれる事をやってみないと何もわからないので一つの経験として気楽に受けてみます。