3つ目は言語化するのが難しくて、何度も書き直した。
夫から求められたいという私の気持ちと、それがなくても愛情は交流できると考える夫の気持ちの隔たり。
夫婦生活に焦点をあてなくても、二人共がお互いを想う気持ちを日々の生活で交流させることは出来る。
出来るけれども、私には交流の手段として必要な行為で欠かしたくないもの。
心の繋がりだけで完了させたくないという、私の心から湧いてくる気持ちがある。
あるものを見て、それに満足しなくてはならないと自分に何度言い聞かせても、私の心は納得しなかったから…
頭で考えることと心で感じることが違うことに気が付いた。
自分の心を大切にしようとすると、夫の心を大切に出来なくなる。
夫の心を大切にしようとすると自分が苦しくなる。
だから二人で着地点を見つける話し合いをしたかった。
二人共が苦しくなくて、二人共が幸せになる着地点。
その話し合いをしたいのであれば、お互いに腹を割って本音でぶつかるしかないのだと思う。
けれど、夫は腹を割らない。
本音を言わない。
それが何故なのか?
保身なのか、プライドなのか?
私が夫の心を見ようとすると鎧と盾で防御する。
嫌なんだろう。
踏み込んでほしくない領域。
鎧と盾を捨てるかどうかは夫自身が決めること。
私が無理矢理捨てさせることは出来ない。
夫婦であっても踏み込めないテリトリーがあって、それはその人にとっては大切なもの。
夫はその大切なものを守ろうとしているに過ぎない。
夫に対してテリトリーが皆無な私は全てを曝け出すことが出来るから、何度も話し合いをしようとしてきた。
それ自体が夫には苦痛でならないのだと思う。
だから私が踏み込みさえしなければ、夫は穏やかな日々を送ることが出来る。
でも私の心はそれは嫌だと感じる。
どうにもならないことに執着しているのもわかっている。
執着を手放す。
あちこちで見かけるフレーズ。
潜在意識を変えること。
愛され脳になること。
自分に意識を向けること。
全部私が取り組まなくてはならないもの?
夫はそのままで良くて、私は変わらなくてはいけないの?
それしか道はないの?
何のための夫婦なの?
夫婦の問題なのに、夫婦として取り組めないこと。
私はそれが一番苦しい。