夫への罪悪感もなくなり、私の心は軽くなった気がした。

でも、いつまでもレスであることが私を苦しめる。

何故苦しいのか何度も何度も自分に問い続けた。

答えは一つではなかった。


最初のうちは自分が女である意味、妻である意味を求めるものだった。


夫に求められないことが、女として、妻として失格のような気がしてしまっていた。

自信を失って、自分にないものに目がいってしまう。

綺麗な女性、色気のある女性、仕草や立ち居振る舞いの美しい女性。

あんな人が妻だったら夫は変わらず求めていたのかもしれないと、自分には魅力がないと思うようになっていった。


「自分に自信を持った方が良い」と夫はいつも言っていた。


私の自信を失わせたのは貴方じゃないの?と思っていた。



自分を愛せる人は揺るがない


自分に自信を持ち、自分を認めることができる。


他者からの評価など必要ない。


子供の頃にイジメにあった私はありのままの自分では駄目なんだと思い込んでしまった。

それは防衛本能かもしれない。


私は自分に自信を持つことが困難で、自信を持とうとすること自体が自分に無理をさせることになる。

だから夫に自信を与えてもらわなくてはならなかったのかもしれない。

その夫から求められなくなったことで、自信を得る機会を失った。

自分を好きでいられたなら、夫から自信を与えられなくてもありのままの自分を認めることが出来たかもしれない。

それが苦しいことの一つだと思う。



二つ目


夫と対等でないと感じてしまう。


本来なら夫婦は対等。

けれど男尊女卑がまだ色濃く残る時代に結婚した

私達は夫が上で妻は下であるべきのような風潮があった。


時が経ち、時代が変わり、世の中の夫婦の形も変わった。


それでも夫の中にはまだ心のどこかで私を支配している感覚があったように思う。


若い頃の夫は私が男性のいる飲み会に行く事を許さなかった。

自分は夜中まで帰って来ず、女性たちと楽しげに映る写真を後日持って帰ってきたりしていたのに。


好き勝手する夫とは反対に制限される私。

不公平だ。

そう思っていた。


レスになってから、その不公平さを改めて感じるようになる。


夫がしたくないからしない。

私がしたくても夫がしたくないからしない。

それが成立していること。


私は自分の願いを叶えることが夫次第になる。

夫は自分の願いを叶えることが自分次第になる。


本当の夫の願いはわからない。

もしかしたら、苦しんでいるかもしれない。

何も考えずに思い通りになっているわけではないのかもしれない。

けれど、現実はしたくない夫はせずに済み、したい私は出来ないまま。

本心がどうであれ、それが現実。


性的同意というけれど、したくない側はしたい方に同意を求める必要はないのかな?


何も言わずに自分がしたくないからお前も我慢しろと言われているような感覚に陥ってしまうのが苦しい。



私が苦しい理由はまだある。

長くなったので今日はここまで。