私の家は自営業だった。

赤ちゃんの頃からホームに預けられ、2歳からは保育園に通い、夜になってから父が迎えにくる。

帰ると近所の子供達はもう夕飯の時間。

幼馴染もいたけれど、生活リズムが違うから一人遊びが主だった。

保育園では友達もいたけれど皆んな夕方には帰ってしまう。

私は遅くまで残っていたから先生と過ごす時間が多かった。


一人っ子で喧嘩もしたことがない。

大人と過ごす時間が多い。

同年代の子供との付き合い方があまりわからないまま大きくなった。


小学校4年生の時。

同級生の中で力関係が出てきた。

男の子と取っ組み合いの喧嘩をする女の子がいた。

その子がリーダー格となり、大きなグループが出来ていった。

リーダー格の子が私に近寄ってきた。

友達だと思っていたのも束の間、すぐにその子からイジメに遭うようになった。


表向きは仲の良いグループ。

でも誰もその子には逆らえない。

私がターゲットになった。

グループの中には優しい子もいて、私を庇ってくれることもあったけど、リーダー格の子に嫌われるとその子もターゲットにされる。

私を差し出しておいた方が皆んな安全だった。


背中に砂や松の葉を入れられたり、高い塀の上を歩くように指示されたりとオモチャのように扱われた。


1番ひどかったのはお金を取られること。


お小遣いがなくなると、親の金を取ってこいと指示され、母の財布から小銭を持ち出すようになった。


怖くて言い返せない。

反撃すると何をされるかわからない。

喧嘩もしたことがない私はどうするべきかわからなかった。

言われるがままに従うしか出来なかった。


一度、余りにも帰りが遅い私を母が心配して、私が帰るなりそのリーダー格の子の家に文句を言いに行った。


私の手を引いてその子の家に向かおうとする母。

やめて、やめてと言っても聞いてくれない。

こんなことをしたらもっと酷いことをされる。

どうしてお母さんはそんなこともわかってくれないんだろう。


翌日学校に行くと「告げ口しやがって」とまたいじめられた。


もう嫌だ。

学校に行きたくない。


ご飯も喉を通らず、朝になるとお腹が痛む。

それでも母は休んではダメと私を送り出す。



当時、私の祖母は家の仕事を手伝いに来てくれていた。

私の家に向かう時、祖母は私が取り囲まれているのを見たようだった。

祖母の方が先に異変に気がついた。


「空ちゃん、いじめられてるんちゃう?」

祖母は母にそう言った。

「そんなことはないと思う。気のせい違う?」

母は受け流してしまった。


誰も助けてくれない。


2年間ほど耐える日が続いた。


6年生の時、私は思い切ってその子に「もう○○さんとは遊ばない。これからは○○ちゃん(幼馴染)と遊ぶ」と伝えた。

きっとこのままではどうにもならない。

同じ苦しいなら当たって砕けろと思えたように記憶している。


その日の放課後、閉め切った教室で私と幼馴染が10人ほどに囲まれた。

幼馴染はとばっちりだ。

私が宣言したばかりにその子まで呼び出された。


○○ちゃん、ごめん。どうしよう。怖い。


そう思っていた時、教室の中に担任の先生が血相を変えて入ってきた。

「お前ら、何しとんじゃ!」

「何しとるかわかっとんか!」

「そこに並べ!」


グループ全員を一列に並べて、端から順に平手打ちをしていった。


「二度とこんなことをするな!絶対に許さん!」


先生はそう言って、私と幼馴染を先に帰してくれた。


先生が母に説明をしにやってきた。


母は

「気がついてあげれなくてごめん。

おばあちゃんも言ってたのに、信じなかった。

ただ学校に行きたくないだけやと思ってた」


私は母の財布からお金を抜いていたことを謝った。


「減っていることは気が付いてた。

どうしようかと考えていた」と母は言った。


その時は母が私を見る余裕がないことでイジメに気付いてもらえないのが悲しくて仕方がなかった。

でも今は母が本当にがむしゃらに生きていたんだとわかる。

仕方のないことだった。



その時の担任の先生のことは今でも覚えている。

今の時代なら、体罰として処罰されているかもしれない。

でも私を救ってくれたのは普段物静かな先生。

あの先生が生徒を正そうと必死になってくれたおかげ。


体罰は良くないかもしれないけれど、イジメを隠して体裁を取り繕う大人ばかりだと、救えるものも救えない。

私には救世主。

心から感謝しています。



小学生の頃のイジメはこれで終わった。

中学校は楽しく過ごせる。

その考えは甘かった。