約3年間の不妊治療の末に

いま16週の第二子を妊娠中。  







ついに顕微受精に進むことを決心した私。

息子を預かってもらうために

義母に不妊治療してることを

話すことにした。


その時点で不妊治療は2年半してた。

実の母にさえ話してない。

実の母はすでに軽い認知症だし


そうじゃなくても

そもそも実母と何でも話す仲ではない。


義母に

相談があるんです。

と、話しかけた。


義母は「相談」なんて言われたからか

ニコニコ嬉しそうだった。

私から義母にあまり話さない。


静かに話を聞いているだけ

「相談」なんてこれが最初で最後。



2年間半も不妊治療をして来たこと

顕微受精に進まないと

妊娠は望めないと言われたこと


もう不妊治療を続けて来て

疲れ切っていること


遠いクリニックだけど

自分の身体とメンタルのためにも

そこに通って

最後の治療にしたいこと


往復6時間はかかるので

通院の日は

学童の後に息子を

少し預かってほしいこと


大体こんな事を話たと思う。


初めてこんなに自分のことを

義母に話たと思う。 

それほど、義母には自分の話はしない。 


と、言っても5分も話してない間に

義母の話が入る。

 

「そうなんだ。〇〇は預かるから大丈夫よ。

いま不妊治療ってみんな結構やってる人多いもんね。昔なんかさ、私の時代なんか大変だったのよ。ほら田舎だから子供ができないと容赦なかったのよ。今はいいわよね。幸せよね。私の友達でしばらく出来なかった子なんかさ、ノイローゼになって、もう大変だったんだから。」


義母はその時の話が止まらない。

義母自身は年子で3人を出産。

なんなら、3人目は降ろそうと考えていた

とか聞いたこともある。


話し出したら止まらない。

そもそも昭和の時代の不妊治療と

今を比べて

「あなたは良かったわねー」と

言いたいのは分かったけど


2年半その治療で効果は出てない。


昭和の不妊治療を知らないから

比べられないけど

私だって辛い。  


義母はまだ昔の話をしてる。

話を遮って私は言った。


お母さん、私だって辛いんですよ。

もう2年半私1人で

病院に通ったり

辛い治療もしてきました。


最近は何もしてなくても

涙が出るんです。

仕事中、家にいたって、

夜ふと目が覚めて涙が止まらない。


でも男性不妊と分かって

最後の治療として恐いけど

顕微受精に進むんです。



「男性不妊」と出したから

「うちの息子がごめんねー」とか

謝らないにしても

寄り添ってくれる義母を期待した。


私は義母に話を聞いてもらいたかったんだ。


辛い治療を2年半もしてること

涙が急に出るぐらい

精神的に思い詰めてること

顕微受精はしたくないけど

しないと妊娠が叶わないこと


「大変だったねー」とか

「よく頑張ったねー」とか

言って欲しかったんだと思う。


それなのに義母は

私の話をふんふん聞きながら

顔色を変えてこう言った

「あーそれはよく無いね。1番は今いる〇〇(小学生の息子)が可哀想だよ。そんな精神状態に息子の〇〇は気づいて心配してると思うよ。


てかさ、泣いてるお母さんのお腹に、赤ちゃんは来たいと思う?

笑ってて何も気にして無いお母さんのところを選んで赤ちゃんだって来るんだよ。

そんなに思い詰めてるならよく無いわ。それは妊娠できないと思う」


義母にメッタ刺しにされた。

ほら、やっぱりいつでも

嫁が悪いのだ。


そもそも男性不妊で

妊娠が難しいと医学で判明した。

それを義母に伝えてある。


それなのに泣いている私がいけない。

私がメソメソ泣いているから

赤ちゃんはやってこない。

だから妊娠しないんだと。


その後は義母がまた一方的に話してた。

昭和の不妊治療の話に

その妊娠出来なかったお友達の話


不妊治療をするなら

ここまでって期限を決めなさいとか


子どもが全てじゃ無いとか

子供に人生捧げて

子供に自分の人生を背負わせるなんて

最低の母親なんだから絶対やめてよね、

とかまで言ってた。


もちろん私は

子どもが全てとか

第二子が出来なければ死ぬとか

仕事を辞めて子育てをするとか

そんな話一切してない。


第一子だって産まれて2歳で

保育園に入れて

ずっとフルタイムで働いてる。

子どもが全てなら

働かない人が多いと思うけど。


私はもう何も言わない。

義母のお説教が永遠と続いた。


義母に話したことが間違えだった。

少しでも

分かってもらえるかも

寄り添ってもらえるかも


なんて考えた私が甘かった。

ああ、疲れる。帰りたい。

義母の話を聞きながら

ずっとそう思ってた。