こんにちは、ケイティです
今日も読んでくださりありがとうございます
昨日のブログの続きです!
私は自分のできないところに目を向けて、その穴を埋めようと努力する日々を過ごしてきました。そして、それが埋まればまた次、また次と、自分自身のあら探しをしていたのです。それでも、幸福感は生まれなかった。なぜなら、自分の欠点を埋めること自体が目的になっていたから。ニセの目的だったからです
いつまでたっても満たされない私。
どうしてかな?私、欠陥があるのかな?
と、本気で思っていました。さらには、
あーダメ人間。もっと成長しなさいよ!
と、追い討ちをかけるように、自分にダメ出しをしていました。驚くべきことに、こういう考え方をするのが普通のことだとずーっと思っていたんです。つい最近になるまで、気づいていなかったライクミーのブログを始めて自分のことを深く考えるようになって、なんとなく感じるようになって、そして今回のゆきんこのブログをきっかけに、改めて気づきました。
あー、私は自分のダメな部分を認めたくなかったんだなー。
って。これに尽きると思います。要するに、プライドが高かったんです!
ダメな自分なんて絶対ありえない。認めたくない。絶対にイヤ。
イヤイヤイヤイヤイヤ・・・・・
無意識のうちに、見えない壁をつくっていました。ダメな自分を見せないように、知らず知らずのうちに自分で自分を見せないようにしていたんですそして自分を守ろうとすればするほどそのシールドは強化されていき、気づいた頃には、自分自身さえも「本当の自分」が見えない状態になっていました。
本当の自分をひた隠しにしようとして、欠点を埋める努力をし続けてきた。自己肯定感を上げるための努力だと思っていたものが逆に自分をくるしめ、最終的には自分自身さえもが自分のことをよくわからない状態になっていったのです。
努力にも限界があるものです。一向に高まらない自己肯定感。何かがおかしい。そんな時、「ダメな自分を認められていない自分」に気がついたんです。すっと肩の荷が下りたような感覚がありました。あ、ダメな自分でもいいんだ、今のままでもいいんだ、って。自分を認めるってこういうことかと実感したんです。それからは、気持ちに大きな変化がありました。
なんか、楽しいよ!
って感じるようになってきました。ちっちゃいことがどうでもよくなってきて、心にゆとりができてきました。なんだか楽しいかも!って。ダメな自分を認められたら、急にラクになったんです。ちゃんと自分で自分のダメなところをわかってるから、人に何を言われても気にならなくなってきたし、人目を気にしなくなってきました。私は私やし、ええやんええやんって思えるようになってきた。これって、自分の中では大きな成長です。
プライドを捨ててみると、
なんだか、楽しくなった。
私にとっては、とても大きな気づきです。
もっともっと、ありのままの自分に寄り添い、
自分開拓していきたい、そんな気持ちの発見をしました
今日も読んでくださりありがとうございました
ケイティ