今日、父親と取っ組み合いのケンカをした。

結果、流血。

歯を食いしばったからか、あごが大きく開かない。

 

うちの父親は、人の話を聞かず、自分の考えが正しいという人。

この父親には、何を話しても意味がない。僕の意見を言っても結局は、否定されてしまう。

だから、僕は話してをしても、

時間の無駄だと小学6年から中学生のころには思ってこの年齢まで来てしまったので、

会話はほとんどしてこなかった。

 

それ以来、何を言われても、どんな暴言をいわれようと聞き流す。

 

聞き流す習慣をできてしまったので、

高校や、大学の友達の話しても聞き流してしまい、

「おまえ、ちゃんと俺の話を聞いてる?」とよく言われたものでした。

 

父親の暴言を聞き流す。

それは、やはり良くなかったのだ。

 

これからは、取っ組み合いをしても、どんな手を使っても

僕の意見を言うしかないんだ。

 

 

20歳のころには、父親を取っ組みあいになり、金属にゴミ箱で、頭おでこを殴られ、

10針ほど縫ったことも(笑)

 

 

小学生の頃には、真冬の夜に外に出され、寒くて寒くてしかたなく、

近くの公園で人が一人ぎりぎり入れる建物と建物の隙間みたいな所に入って、

風を少しでも防ごうをしてたり。

(その間、母親と妹は、近くを探してくれていたみたいですが。

夜中の3時頃に家に入れたけれど、当の父親をぐっすり寝てた)

 

そんな生活が嫌で、また夜に外に出されたときに、

公園にある植物のつたで、首を吊って死のうと挑戦してたり。

もちろん、うまく、つたが首に絡まるはずもなく、失敗。

もちろん、本気でなく、真似事だけどね。

でも死んだら楽になれるからとか、かすかに思ったのはほんとかな。

かすかにね。

 

よくある、子どもが死ねば、さすがに親も後悔してして泣いてくれるかなー

とか思っていました。

 

 

結局、僕は、父親からも母親からも沢山の愛情が欲しかった。

優しい言葉をかけてほしかった。

ありのままの僕は、大切だよ。と態度で示してほしかった。

 

そして、伸び伸びした子どもの純粋さがなかった。

勉強ばかりしていた高校時代は、気づかなかったけれど、

 

大学に入学してころには、自分に自信のない、だから人見知りで、

いつも同じ友達をばかり固まっていて、世界を広げることもなく、

そこに自分をゲイであることを隠さないといけないため、

人に心を完全にオープンにして、距離を縮めることもできず。

 

社会人になっても愛想笑いばかりしてた。

今になって思えば、僕の指導係の先輩が、僕に心を開いてもらうために、

女子の下ネタを振ってくれたりもしてけれど、

女子に全く興味のない僕は、そこでも愛想笑いばかり、していたかな。。

 

他の若手の先輩や、副主幹も笑顔で話しかけてくれたり、

沢山応援してくれました。、(今、思えば)

 

子どものころから、家庭で親と話すことはして来なかった僕には、

いきなり、「話そう」と思っても。いきなり話すことはできませんでした。

 

 

 

 

時はさかのぼり、

 

小学校なんて、「おかま」とか言われて少しいじめられてた時期もあったり、

小学校の卒業式なんて、全く悲しくなかったけれど、

同級生女子が泣いたり、悲しんでるので、

 

悲しい顔をしなければいけないとかなとか思って、

わざと悲しい少し泣きそうな顔をしてた。

 

中学校1年生の3学期には、学級通信で、

担任の保健体育の女先生が、生徒一人ひとりに

一行ずつ、コメントを書いて全員に配るんだけど。

 

そこには、たいてい、「いつも元気がいいね」

「体育が得意だね」「クラブで先生の手伝いをしてくれてありがとう」とか、

クラスメイト全員を誉める一言を書いて、配布したんです。

 

僕に対してにコメントは、なんて書かれたと思います?

僕に対してのコメント

「真面目だね!たまには、ハメを外しても・・・」と

書かれてありました。(今でも忘れない)

 

これって、誉め言葉でないよね。

僕だけ、誉め言葉ではない。

この文を読んで、かなり動揺したのを、今でも覚えています。

 

クラスメイトの良いところを見つけて、みんなを誉めてた一文を先生は

書いているのに、どうして僕だけは、否定的なコメントをされるの。

 

真面目なことはいけないの?

真面目に勉強を頑張って、部活(バスケ)を頑張ってはいけないの?

真面目はいけないなら、どうすればいいの。

 

中1の思い出を今でも覚えています。

担任の先生の名前は、佐々木真〇子先生です。

もう60歳前後かな。。。

 

余談でしたね。

元に戻すと、

 

 

 

でも、どんな身勝手は父親でも、僕は成人した以上、対峙しなければいけなかった。

聞き流すのでなく、立ち向かっていかなければならなかった。

ということに尽きると思います。

 

完璧な親なんていないし、

親の良いところを見つけようとは思ってもね。。。(笑)

 

なんだか長文になってしまいましたが、

 

体は、ひっかき傷だらけですが、またするべき時は、逃げないで

取っ組みあいのケンカを頑張ります(笑)

 

うちの父親は、長く自衛隊に勤務してました)

 

支離滅裂な長文を読んでいただきありがとうございます。